徒然なるままに、

ゆるく・気ままに日常を書けたらいいな

使いきってから投げる

「投げる」と言うとどこの人かバレそうな気もするが、構わず進める。

 

自分は、物欲が他の人よりもないんだろうなと思うことが多々ある。

 

物に価値を見出さない気さえしてくる。

 

そのためか、買い物には積極的には行かないし、行ってもウィンドショッピングで終わることも多々ある。

 

知人は誰かと待ち合わせで早めに来たついでにいろいろなお店を回って買い物をよくしている。

 

それを見て思う。

「いつもお店の袋持っているよな」

 

この知人を否定する気はない。

 

なんならいろんなお店を見て回るのは自分も嫌いではない。

 

「このお店、セールやっているんだ」

「派手な外観だな」

「今じゃこんな下着もあるんだ」(女性用の機能性ブラを見て思った)

「秋物入荷って、早くないか?」

こう考えると自分はお店を見て回りながら季節を感じているのかも知れない。

 

日本語として正しい表現ではないと思うが、自分の服は年中ほぼ同じなので、没季節感だ。

 

自宅周辺は自然がそこそこあるものの、気にしていなければ気付かない。

 

もっと言うと、地元と自宅では季節が大きく異なるくらい環境が違いすぎるため、季節を感じ取りにくいのかも知れない。

 

…と、最もらしいことを言っているが、地元にいた頃から季節は気にしていなかったから関係はなさそうだ。

 

こんな状態のため、友人や親・きょうだいから衣類や小物をもらうことが多かった。

 

とてもありがたいことだと思う。

 

自分で買わないからもらったものはありがたく使わせてもらっている。

 

ちなみに一番沢山の物を渡してきたのは配偶者だった。

 

結婚前の1年は遠距離だったため、3ヶ月に1回程度いろいろなものを詰め合わせた物が箱で届いていた。(大体縦+横+高さで60㌢くらいの小さいものだった)

 

確かに自分が当時住んでいた場所は田舎だったが、それでも食べるものには困らない程度の場所だった。(衣料品店はないが、食料品・日用品店はあった)

 

それなのに配偶者(当時婚約者)は味噌や出汁パック、調味料、乾物、石鹸などを送ってきていた。

 

自分としてはありがたく使っていたがひとり暮らしのためなかなか減らない。

 

使い終わる前にまた新たな詰め合わせが届く。

 

詰め合わせの内、いくつかは結婚後に自宅へ運んだ。

 

そして昨日、自宅へ運んだ元詰め合わせの食料品を全て使いきったと連絡があった。

 

食料品だから賞味期限があるため、頑張ったのだろうと思う。

 

使いきれたことは良かったとも思えた。

 

残りは日用品の使いきりを意識する必要がある。

 

自宅出発前に数えたら、衣類用の洗剤が3つ、石鹸が10個ほどあったから自宅に帰り次第使いきり生活をしていきたい。

 

 

自分は今自宅にはおらず、実家にて暮らしている。

 

自分の物で使うものは自宅から持ってきた。

 

その中で、ボディスプレーを先日使いきることができた。

 

このボディスプレーも1年半ほど前に配偶者が買ってくれたものだった。

 

当時背中にニキビができていて、自分が掻きむしっていたから痛々しいと購入してくれた。

 

効果覿面で、1週間ほどでニキビがほぼできなくなり、背中を掻きむしることもなくなった。

 

その後も使い続けてきたが、ニキビができる気配がなく、使いきったため処分した。

 

思えばあのニキビは環境が変わったことによって体が付いていけなかったから出たものではないかと思う。

 

当時は地元とは全く異なる環境に来て1年目だったから体が慣れていなかったのだろう。

 

今後は大丈夫だろうと思っている。

 

あと、8月中にサプリメントグロスを使いきりたい。

 

サプリメントは計算上、今日飲み切るはずだ。(あと1つストックはあるけど、現在開封してあるものは今日で終わるはず)

 

グロスも毎日使えば終わりそう。(普段はあまり塗らないが、実家へ来てからは意識的に使っている)

 

実家から自宅へ帰るまでに使いきりそうなものとして、

・ファンデーション

・日焼け止め

・おりものシート

・使い捨ての掃除道具

・マスク

・目薬

思いついただけでこのくらい。

 

化粧水もあるが、使いきれたらいいなくらいに思ってはいる。

 

衣類も使いきりたいが、数ヶ月の滞在でなかなかそこまで着倒すことも難しいため、ぼちぼち行っていく。

 

 今年は子どもが生まれるため、マタニティー用品やベビー用品が劇的に増えた。

 

服は配偶者の大きめTシャツやワンピースで代用しているがなんら不都合はない。

 

さすがに腹帯とレギンス、ショーツ、ブラは購入した。

 

必要最小量と思われる量しか購入していないため、ショーツはかなりへたってきた。

 

ブラは授乳期にも大いに活躍するだろうからと少し遅めに購入したため、まだへたってはいない。

 

レギンスは産後も使うつもりでいる。

 

腹帯は、1つは先にもらい、後からもう1つ買い足した。

 

先にもらった方はくたびれ始めたが後から買った方はまだ大丈夫。

 

このままいけば2人目の妊娠のときにも使えるだろうと考えている。

 

夫婦の計画では子どもは2人は欲しいので、出産後、マタニティー用品やベビー用品はとっておこうと考えている。

 

ちなみにマタニティー用の衣類(腹部に余裕があったり、授乳口のついた服)は1枚だけ冬用を購入したのみだ。

 

赤ちゃんは問題なく育っているが、お腹の膨らみが小さめのため、普通の衣類でも問題なく着れている。

 

自分としてはかなりお腹が膨らんできたと思っていたが、医者からも膨らみは小さめだと言われる程度の大きさのため、マタニティー用の衣類を買わずに済んでいる。

 

お腹の膨らみは個人差が大きいため、自分の体験は書くことができるが、それを誰かに強要するつもりは一切ない。

きょうだいとの物を所持することに対する考え方の差

自分にはきょうだいがいる。

 

1人は実家暮らし

1人は仕事の関係で800キロ以上離れたところでひとり暮らし

自分は実家から1500キロほど離れたところで結婚(現在里帰り中)

 

自分もきょうだいも帰省時にはフェリーか飛行機を使う必要がある。

 

このひとり暮らしをしているきょうだい、片付けが得意だと思う。

 

きょうだいの部屋の物が散乱していたことは知っている限りない。

 

一度仕事で地元に帰ってきた際、きょうだいは荷ほどきを半日で終わらせていたのにはびっくりした。

 

当時の自分は荷ほどきに3週間ほどかかっていた。

 

そのためきょうだいの荷ほどきの早さにはただただ驚いた。

 

そんな中、今回の里帰り時自分はきょうだいの部屋で暮らしている。

 

自分の部屋が物置になっていて、使えないからだ。

 

ちなみに自分の物は実家を出る際に処分したため、自分の物はほぼない。

 

何故か昔部活でとったトロフィーが飾られているが、そんなに良い成績でもないから処分したい。

 

自分がそんな感じだから、片付けが得意だと思うきょうだいの部屋もいろいろと捨てた上で成り立っているのだろうと思っていた。昨日まで。

 

昨晩、自宅から持参した服類をクローゼットにしまおうとした。

 

自分の部屋にもクローゼットはあったが、自分が暮らしていた頃から自分の物は入れられないくらい親の物が入っていたため、まともにクローゼットを使ったことがなかった。

 

きょうだいの部屋のクローゼットは、親の物は一切入ってなかった。

 

変わりに、きょうだいの物がそこそこ入っていた。

 

正直驚いた。

 

きょうだいは片付けが上手だから、実家には何も残さず引っ越したのだろうという先入観があったからだ。

 

きょうだいは片付けが上手なのではない。収納が上手だったのだ。

 

パズルのように寸分の狂いもなく入れられたクローゼットを見て、きょうだいの才能を感じた。

 

そして自分は、自分の物をきょうだいのクローゼットの隙間に入れることにした。

 

きょうだいとは服のセンスが違うし、身長も10センチほど差があるため、服を共有しない(できない)から紛れることもない。

 

そして、きょうだいのクローゼットを見ていたら自分の自宅の物よりも実家のきょうだいのクローゼットの中の方が物が多そうだ。

 

自分が不要品を捨てているから、収納を意識しないでも自分の物が余裕で入っている。

 

自宅もきょうだいの部屋も「見えるところはキレイ」で共通しているが、こんな差があるなんて思いもしなかった。

 

 

 

実家で暮らしているきょうだいは、自分と同じであまり片付けは得意ではない。

 

部屋に対して物が多いため、無意識で部屋の外に自分の物を置いている。

 

自分も実家にいたときはそうだった。

 

洗濯した服もなかなか自分の部屋へ持って行かず、カバンも廊下に置いていた。

 

そして自分の部屋の中は「足の踏み場がない」と言われていた。(本人は自覚なし)

 

きょうだいも同じだった。

 

更にきょうだいは某通販にハマり、どんどん物が増えている。

 

主に日用品を扱う通販のため、家族共有の物(歯みがき粉や鍋など)がその会社の製品に変わっていっていた。

 

自分が実家を出る前からきょうだいはこの会社の製品にハマっていたが、今回里帰りした際には更に増えていた。

 

そして、日用品をこの会社の製品に変えたいがため、きょうだいは使いかけだろうがなんだろうが容赦なく捨てるようになっていた。

 

自分も物は捨てるが、使いかけの物を捨てることはない。(カビが生えていたりと使えなくなっていたら話は別だが)

 

自分が日用品を変えるタイミングは、その物が使えなくなったり、空になったりしたらにしている。

 

きょうだいも捨てることに重点を置くようになったのだろうが、捨て方にも差があるなとぼんやり考えていたら、きょうだいは自分の物も捨てようとしてきていた。

 

いやいや使いきってから捨てるから今はまだだ。

 

今回はかなり長めに実家で暮らす可能性も考えて、日用品も自宅からストックをかなり持参してきた。

 

きょうだいとしては、きょうだいのハマっている会社の製品に変えたいようだが、自分はそこまでその会社の製品を信用していない。

 

物は良いらしいが、会社のやり方が嫌いだから自分から選ぶことはない。

 

そもそも自分があまり通販が好きではないため、通販でしか購入できないのも買わない理由の1つだ。

 

ここの会社の製品高いしね。(日用品は基本的に消耗品だからこだわる必要はないと思っている)

 

そんな感じの自分ときょうだいのため

自分…物へのこだわりがなく、ただ少ない物で暮らしたい

実家暮らしのきょうだい…自分が推している会社の製品にこだわり、その会社の製品を使いたいがために余剰分を捨てている

ひとり暮らしのきょうだい…収納が得意で、いろいろな物を持っている

と、全員バラバラでおもしろい。

 

ちなみに親は、なんでも溜め込む癖がある。

 

まだ50代だから先の話だと思っているが、遺品整理のときに少しでも楽したいから今回実家を片付けた面はある。

 

実際配偶者の親は50代で亡くなったから、少しだけでも考えておいた方がいいのかもとも思っている。

 

後は自分の子どもに見せたくないものを生まれる前に処分したかったのもある。

 

・親が律儀に保管していた自分宛の手紙(差出人の名前を見ても誰だか分からない)

・小学校の頃のテスト(何故かファイルに挟んであった)

・日記帳(全て処分したと思っていたが、1冊だけ残っていた)

・ホコリまみれの何か(本当に何なのか分からないもの)

 

がっつり捨てた。

 

恐らくこういったものは思い出とかだから、捨てるのは…となりそうだが、自分は比較的なんとも思わずに捨てられるようだ。

数年ぶりの墓参り

自宅に住んでいた頃は強制的に墓参りに参加させられていた。

 

20歳を越えると家族と予定が合わない(合わせる気もなかった)ため、父方の墓参りだけ行っていた。

 

母方の墓はどこにあるのか分からないので。

 

しかも自宅のある地域は旧盆と新盆が入り交じっている地域。

 

わざわざ7月と8月それぞれに墓参りのために予定を空けるのが無理だった。

 

自宅を出てからは何年も墓参りには行っていなかった。

 

 配偶者も実家が同郷で、お盆休みを取りにくい職場だったこと、元々墓参りをする家ではなかったとのことで墓参りの概念がないそうだ。

 

今年、たまたま実家にいるから旧盆に合わせて父方の墓参りだけ行ってきた。

 

母方は家族が7月に行ったそうだから行かなかった。

 

墓の場所も分からないから行く気もない。

 

墓地まではわかるが、墓地のどの辺にあったかなんかは覚えたくもない。

 

父方の墓は、父の実家から歩いていける距離だから覚えていた。

 

父の親戚はいろいろと思うことがあるため、自発的に行こうと思えたのが一昨年くらいのことだった。

 

それまでは面倒な気持ちの方が大きかった。

 

そして、父方の墓参りはかなりつながりの遠い親戚の所も行く。

 

ここの墓に行くのも納得はしている。

 

だから行った。

 

しかし、墓がなかった。

 

墓の管理をしている親戚(この人もかなりつながりの遠い親戚)の家に行って聞こうとした。

 

この家には葬儀で17年前に一度来たことがあった。

 

父と一緒にここだと言っていたら母ときょうだいが不思議そうな顔をして「なんで知ってる?」と聞いてきた。

 

自分も父も土地勘があり、一度通った道は大体覚えられる。

 

母ときょうだいは方向音痴だ。

 

当然道なんて覚えない。

 

家族での道の覚え方が極端すぎるのか、両者は分かりあえないなと感じた。

 

ちなみに遠い親戚の墓は、無事行くことができた。

夏は終わった

今週のお題高校野球

自分が高校生だった約10年前、地元の大会の決勝は6年連続で同じ高校同士だった。

K高校 対 Y高校の戦いは、K高校の応援の方が熱が入っていたような気がする。

実はY高校、元々女子校だった。

創部2年で甲子園に初めて進んだ学校だった。

当然このときの部長は2年生。自分の通っていた中学の先輩だったらしい。

野球部との関わりがなかったため、「らしい」としか言えないが、この先輩の妹は同じ部活をしていたから教えてもらえた。

そんなこともあり、K高校とY高校では地元ではK高校の方を応援している人の方が多いが、自分はY高校を応援していた。

ちなみに今は地元を離れたため、どこの高校を応援しているということはない。


そんな中、今年は毎日新聞を見て高校野球の結果をトーナメント表に記入している。

現在住民票のある地域の出場校を初めて知った。

そしてその学校は既に初戦敗退した。

もうその地域の夏は終わった…

そう感じた。





こんなことを書いた後だが、実家のある地域の高校は2回戦に進出していた。

高校名が昔から変わったからか、どこの高校かよく分からない。

サニブラウン・アブデル・ハキーム

昨日、サニブラウン選手が世界選手権の200m史上最年少で決勝へ進出した。

 

18歳5ヶ月でのこととか。

 

ん?18歳5ヶ月?

 

そう思い、彼のプロフィールをWikipediaで調べてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生年月日 1999年3月6日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…やっぱりか。

 

自分は彼から勇気をもらった。

 

一般的な早生まれ(1月~3月生まれ)はスポーツをする上では不利とも言われている。

 

幼少期の頃の1年の差は大きく、幼い頃に同級生と比べて劣等感を持つからだとか。

 

また、スポーツのみならず、勉強面でも劣等感を持つこともあると聞いたことがある。

 

根拠があるかないかは分からないが、少なくとも当事者である自分からしたら納得はいく。

 

自分は早生まれで、かつ、同学年の同性で一番誕生日が遅かった。

 

小学校入学の頃、同級生の中では一番小さく、勉強や体育とか他の人よりもできていないと感じていた。

 

同級生と同等にできたものは何かあったっけ?と思うくらい未だに劣等感を持っている。

 

さすがに高学年くらいになると生まれの1年の差は感じなくなったが、自分は成長も遅かったので体格差はなかなか埋まらなかった。

 

高学年の頃は持久力が人よりもついていた。

 

学校行事のマラソン大会では好成績を残せた。

 

そのときにようやく追い付いた感じがした。

 

つまり、劣等感は4~5年持ち続けていた。

 

 自分は現在妊娠中で、配偶者と子どもの話をしたときに「絶対早生まれにならない方がいい」というのがある。

 

自分が早生まれで苦労したから同じ思いを味あわせたくないからだ。

 

もちろん早生まれは全員そうではないとは分かっている。

 

ただ、自分はかなり辛く感じていた。

 

 そして、彼と自分にはまだ共通点がある。

 

中学・高校の間だけだが自分も陸上をしていた。(長距離だったが)

 

世界選手権どころか都道府県大会の上にさえ行ったことはなかったが、下位大会の決勝まで進出したことはある。

 

もちろんそんなに早い記録ではない。

 

だが、あることで目立ってはいた。

 

自分も父が外国ルーツだ。

 

名字は結婚したときに配偶者側の名字を戸籍に登録した。

 

名前は一生変わらない。

 

なかなか見ないものだと思っているし、見る人が見れば自分が外国ルーツなのもすぐに分かるものだ。

 

そんな名前だが、自分は日本語以外話せない。

 

というより、日本語も怪しいことがある。

 

サニブラウン選手のインタビューを見ていて、受け答えをはっきりしていて同じ外国ルーツでも差を見たような気がした。

 

こういった共通点があるからか、サニブラウン選手には今後も活躍して欲しいと切に願う。

 

現在右太ももを痛めているようだが、しっかりと治して欲しいと思う。

 

 

 

ところで、彼の名前の「サニブラウン・アブデル・ハキーム

 

名字がサニブラウンなんだろうなとは思うが、名前は「アブデル」?「ハキーム」?

 

ガーナの名付け方法はよく分かっていないが、ミドルネームになるのか?それとも父称

乗り物酔いしやすい夫婦

うちの夫婦は乗り物酔いしやすい。

 

自分は初めて特急列車に初めて乗った際、トイレから出られなかった。

 

配偶者は長距離バスに乗れないと話している。

 

車や普通列車は普段なら大丈夫だが、幼い頃や悪阻がひどい頃はダメだった。

 

2人が最も酔いやすい乗り物はフェリーだ。

 

風も波もない、いわゆる凪ぎの日でもフェリーの中で酔っていた。

 

そんな夫婦が初めて知り合った場所はフェリーでしか行けない離島だ。

 

自分は就職で

配偶者は転勤で

それぞれこの離島へ来て生活していた。

 

東京から片道7時間ほどかかるらしい。

 

自分は東京の出身でも育ちでもないため、東京から来たわけではないが…

 

この離島、本土からは片道約2時間、隣の島からは40分かかる。

 

自分は離島に住んでいた頃、本土から島へ行くときは80%の確率でトイレから出られないほど酔っていた。

 

残りの20%はエチケット袋でなんとか対応できていた。

 

ちなみにエチケット袋を使っていたにも関わらず、エチケット袋から出てきてしまい床を汚したことがある。

 

トイレに駆け込む手前で力尽きたこともある。

 

某船舶会社の方々、ほんとうにすみません。

 

離島から本土へ行く際には40%の確率で酔わなかったんです。本当です。

 

…それでも半分以上負け戦であることは認める。

 

特に冬は低気圧の影響でフェリーが欠航することも多く、運航しても物凄く揺れる。

 

冬場で酔わなかったことはたった1回だけだった。

 

そして、船酔いはフェリーに乗った2日後くらいまで余波が残っている気がする。

 

とにかく気持ち悪い。

 

船酔いダイエットとかできそうなくらい食べられないし、吐き続ける。

 

 

自分の酔い方もひどいが、配偶者も同じような酔い方をしていた。

 

2人でフェリーに乗ったときには会話を楽しむ余裕なんてない。

 

相手を気遣う余裕もない。

 

本土まで行く2時間、寝るかトイレで吐くかしていた。

 

そんな2人への救世主となる(かも知れない)酔い止めがある。

 

「アネロン ニスキャップ」をご存知だろうか?

 

Google先生に聞いたところ、船釣りを楽しむ人も飲んでいるものらしい。

 

早速飲んでみた。

 

配偶者は効果覿面だったようだ。

 

一方自分は飲んでいても吐いていた。

 

むしろ飲んでいる方が余波が長く続く気さえする。

 

2日ほどフェリーが欠航し、ようやく運航したときに乗船したらしばらくフェリーターミナルで動けなくなっていた。

 

もちろん酔い止めは飲んでいた。

 

終わりなき苦しみを味わい、思ったことは一言

「離島で生活できない」

 

結局、このときに乗船したのが自分の最後の乗船になった。

 

この離島行きのフェリーは観光シーズンなら1日4便ほど出ている。

 

夫婦にとっては出会いの地であり、思い出の地でもあるため子供が大きくなったら旅行にでも行こうかと話している。

 

夫婦で最も心配していることは、2人とも船酔いするため子どもも船酔いするのでは?ということである。

 

3~4歳くらいまでは三半規管が未熟すぎて乗り物酔いしないと聞いたことがあるため、行くとするならそのタイミングかとは考えている。

 

船酔いしないためのいい方法を知っている方、教えていただきたいです。

 

心配性ほど物が多い

あくまで自分の周りの人を見ていて思う。

 

様々なことを心配する人と

行き当たりばったりの人

両者を比べると、心配をする人の方が所有物が多い。

 

1つの視点のみで書くこと自体良くないのかも知れないが、このブログは昨今の少ないもので暮らすブーム(?)に便乗している。

 

もちろん自分も少ないもので暮らすよう心がけている。

 

自分自身では多くの物を管理しきれないと考えているし、衣類とかのリサイクルできるもので自分が使っていないものが自宅にあることを勿体ないと感じるから必要なもののみで暮らしたい。

 

そして、できることなら食品と燃料以外の買い物をしたくない。

 

こう思っていることに気付いたのはつい最近だ。

 

購買欲求は元々なかったから素質はあったのかも知れない。

 

いや、購買欲求は単にお金がなかったから諦めがつきやすかっただけなのかも。

 

いずれにせよ、家族や友人を見ていると昔から自分はあまり物を買っていないことに気付いた。

 

 

買い物はしないが、貰い物はよくした。

 

そしてよく保存していた。

 

以前どこかのブログで、必要のないのに保存されているオマケや付属品を「○カラシ」という単位で書いていたものを見た記憶がある。

 

この単位の素となった「カラシ」とは、納豆に付いてくるカラシを指すらしい。

 

確かに使わなくても保存している人はいる。

 

うちの実家は以前保存していた。

 

あの頃のカラシはほぼなくなっていたが、冷蔵庫の隙間等に変色したものがいくつか見つかった。

 

ちなみに自分は納豆のカラシを使うため、保存はしていない。

 

 

心配性な人は

「○○のときに○○がないと困る」

「○○のときには…」

と、様々な状況に対応するため物を多く持っていると感じた。

 

もちろん、先を考えることは悪いことではない。

 

そのために物を所有しようと考えることが自分の生活にとっては苦痛になる。

 

自分は以前、人と関わる仕事をしてきた。

 

「○○さんは何かを食べるとき、必ずおしぼりで手を拭いてからじゃないと食べない。」

「飲食店ならおしぼりは出してもらえるが、そうではない場合はどうする?」

ここで心配性な人は

「自分がおしぼりを持っておけばどこで食べたくなっても大丈夫」

と考えるのだろう。

 

自分の場合

「飲食店に入らなくても、コンビニで食べ物を買えば付けてくれる。」

「もし付け忘れていても近くのコンビニや売店でいくらでも置いてあるだろうからそこで貰ったり買ったりすればいい」

「『おしぼり』じゃないとダメなのか?

○○さんは手を清潔にしたいのではないのか?

手を清潔にしたいのならトイレの洗面台で手を洗えばいい」

と考える。

 

「おしぼりが欲しい」という状況になったらその場で対処すればいい。

 

 

こんな感じでいたため、物は増えずとも不便したことはない。

 

もちろん、例外はある。

 

その場合は個別対応していた。

 

仕事でこうしてその場で対処できるようになってきてから、私生活でも物が増えなくなった気がする。

 

当時は今ほど物を増やすことに意識を置いていなかったが、とくに不便をした覚えはない。

 

あと、若干手先が器用になった気がする。

 

数年前の自分では考えられなかった紙工作ができるようになったり、別の物を代用できるようになった。

 

 

自分はどちらかと言うと元は心配性だったと感じている。

 

今でも心配になり、手が覚束なくなることもある。

 

心配性かつ不安になりやすいみたいで、精神的な嘔吐が起こるときもある。

 

物を少なく持つことで少しずつ心配性を克服したのか

心配性がマシになってきたから物が少なくなったのか

今となってはどちらが先かは分からないものの、自分自身を変えるきっかけに物の少ない生活は一役買っているのかもしれない。