徒然なるままに、

ゆるく・気ままに日常を書けたらいいな

子宮口が開かない

40週0日の検診で、子宮口が開いていないため、40週3日で誘発剤(陣痛促進剤)を使用することが決まった。

40週になるまでなにもしなかったわけではない。

36週からは毎日1時間ほど散歩に出かけていたし、母乳が出るように乳頭をしごいていた。

38週に入ると毎回病院で卵膜剥離をしていた。

いわゆる「内診グリグリ」ってものだ。

37週にはNST(ノンストレステスト。なにもしていない状態でのお腹の張りを診る)を実施。10分くらいで張っていたが、自分も子どもも「ふ~ん」くらいでなんともなかった様子。

それでも40週0日で子宮口が開かない。

予定日付近なら自覚なく1cmくらい開くのが普通みたい。

あまり長いこと胎内にいると、いろいろなリスクが増加するため誘発剤を使用することが決まった。

40週3日に入院し、誘発剤を使用すると40週4日には生まれるだろうとのことだった。

自分が里帰りしていて、夫は40週4日に地元へ来る予定だったからちょうどいいと感じた。


しかし、そうはいかなかった。


40週2日の夜、お風呂から上がった辺りから痛くなってきた気がした。

「明日入院だから平気」と思いつつ、配偶者と電話。

どうやら配偶者は家族に今日にも産まれると連絡したらしい。

残念。まだだった。

とか言っていてもやっぱり痛い。

でも明日入院だから平気。

けど痛い。

日付が変わる前に一応間隔だけでも測ってみた。

 


あれ?

 


7~8分間隔じゃね?

確か10分間隔切ったら連絡してほしいと言われていたはず…

…いや待てよ。とりあえず1時間くらい様子を見よう。

 

やっぱり7~8分間隔くらいだ。


むしろ少し短くなってきた?

すぐさま病院へ連絡。

到着後すぐさま内診。

あ、開いてきとる。

病院へ着いた頃には6分間隔。

病院到着後約5時間で子宮口全開。分娩室へ入る。

医者の判断で会陰切開してもいいかと言われる。

「切ってください。」と速答。

切られた後、産まれそうになっている自分が放った一言
「股が裂ける」

それに対して医者の一言
「もう裂けているよ」(会陰切開後だったため)

で、出産。

外来診察開始の30分前だった。

ちなみに自分はこの日、外来診察を受けてから入院する予定だった。

誘発剤使用も言われていたのに直前で産まれた我が子に一言

おい、話が違うじゃねぇか

おっちゃん

昨日、とてもお世話になったおっちゃんの通夜があった。

この人のことは「おっちゃん」と呼ぶような仲ではなかったが、この人と出会っていなければ人生が変わっていたことは間違いない。

個人名をブログに出すことに強い抵抗があるため、便宜上 おっちゃん とさせていただく。

おっちゃんとの出会いは自分がまだ未成年の頃だった。

その頃に始めたバイト先で出会ったのがおっちゃんだった。

自分はかなりの落ちこぼれだった。

そんな中でもおっちゃんと店長は優しかった。

おっちゃんは人をよく見ていて、和を大事にしていた。

店長もその考え方は同じだったようだ。

いろんなことに興味があり、それらをそつなくこなすとても器用なおっちゃん。

店舗の中で偉い立場だったけど、威張ることは一切なく、「散歩の途中で寄りました」くらいの雰囲気で店舗に来ては仕事をしていった。

トレードマークなのか、印象的な外見だった。

事故やケガなどに繋がらないようなミスなら笑って許してくれていた。

「失敗から学べば良い」といった考えだったのだろう。

おっちゃんがいる日は心なしか嬉しかった。

自分は大学の頃、実習等で長期間休みを取ることも多々あった。

それでもおっちゃんはOKしてくれた。

人手は足りなかったが、おっちゃんと店長の人望は厚く、卒業等で辞めた人も声をかけたら手伝ってくれたりもした。

そんな姿を見ていたからか、自分が大学卒業後、就職できずにいたときにそこでのバイトを続けた。

何ら抵抗はなかった。

ただただここの居心地が良かったし、人手が足りないことも分かっていたからバイトをした。

おっちゃんは自分の就職のことや体のことを事あるごとに心配していた。

大学卒業から半年後に契約社員の仕事が決まったときも一番に喜んでくれた。

本当は人手が足りないだろうけど快く送り出してくれた。

そのため、契約期間終了後に自分は再び地元に戻り、働きだした。

おっちゃんは店にいると分かっていたからだ。

その後、勤務中に自分が倒れてしまい多大なる心配をかけてしまった。

それでもおっちゃんは見捨てなかった。

自分はここで働き続け、地元を離れるその日までおっちゃんのお世話になった。

昨年、自分の結婚が決まり店へ挨拶に行った。

おっちゃんも相変わらず元気そうで、配偶者を見たときに「素敵な人だ」と即座に言ってくれた。

とても嬉しかった。


そんなおっちゃんの突然の訃報が届いた。

悲しさよりも空虚感が大きい。

通夜か葬儀に出席したい気持ちもあるが、自分は今、生後間もない子どもがいる身。

完全母乳で育てているため子どもを預けることもできない。

かと言って、人の多いところへ連れて行くわけにもいかない。

当時のバイト仲間に葬儀に行くか聞いて、行くなら香典を預かってもらおうと思っていたが、日中のため行けないとのこと。

それなら、遅くなるけどバイト先に香典を持っていこう。

自分なりの、せめてもの弔いだ。


自分にはやりたいことがあった。

子どもが生まれたら、店の店長とかに子どもを抱いてほしいと思っていた。

この「店長とか」は店長の他におっちゃん・社員さん・先輩が含まれている。

しかし
店長は退職している。
おっちゃんは亡くなった。
社員さんは音信不通。
先輩は連絡は取れるものの店は退職後で会いに来る様子もない。

自分のやりたいことは達成出来なかった。

おっちゃんは自分が出産したことを知らない。

せめて出産したことを伝えるべきだったと後悔している。

 

何はともあれ

おっちゃん、長い間お疲れ様です。

おっちゃんと会って人生が変わった1人として、最期の時には参列できませんが、ご冥福をお祈りします。

エコーの話

妊婦検診では、胎児の様子を見るために毎回お腹の上からエコーをあてる。

そこで、胎児の大腿骨の長さからおおよその体重を割り出している。

自分はその体重を見て、前回からどのくらい成長したか、標準より大きめ(小さめ)かを見るのが楽しみだった。

里帰り出産だったため、最後の方は別の病院へ転院した。

そこでも毎回エコーの検査があった。

臨月に入った初回の検診で、胎児の推定体重は2600g程度まで成長した。

だいぶ大きくなってきたし、2500g越えていたら大丈夫と聞いたから早く産まれてくれないかなと思っていた。

そして、生まれるまでにどこまで成長するかも気になっていた。

しかし、2600g越えと言われてから39週までずっと2600g台と言われ続けた。

40週でも2800gとのことだった。

成長していないのは不安だったが、2500g超えていることは確実だから気にしなくてもいいとのことだった。

某サイトで相談したら、小さく産めて楽だと思えば良いとも言われた。

確かにそうだなと思った。

そして出産。

産まれた子どもはとても小さく見えた。

「2800gくらいだからな」と産後の脳内で思っていたら、体重を計測した助産師さんが一言
「3200g越えているね」

 


えっ(゜〇゜;)サンゼンニヒャク?

だって2800gくらいって聞いてましたよ?
なんなら39週までは2600g台でしたよ?
ほんとに3200g?

予想外の大きさに思わず一言


おい、話が違うじゃねぇか

おい、話が違うじゃねぇか

36週の検診のときからずっと2600g台と言われ続けていた子ども。

40週の検診でも2800g台と言われた。

産まれてみたら3200g超え。

おい、話が違うじゃねぇか

 

40週0日の検診で子宮口の開いてなさが分かり、40週3日に誘発剤(陣痛促進剤)を使うことが決まった。

40週2日の夜中に陣痛開始。

40週3日の入院予定の30分前に産まれた。

おい、話が違うじゃねぇか

 

40週2日の朝、いつもの痛みとは違う痛みが出る。

時間を測ってみると10分間隔くらい。

病院で測るもまだ陣痛とは言えない。

「多分明日入院して誘発剤使っての出産になりそうですね」

その約22時間後、出産。

おい、話が違うじゃねぇか

 

検診では子宮口が開いていないため、出産の時間はかかりそうと説明される。

実際は、トータル8時間半で出産を終える。

おい、話が違うじゃねぇか

 

陣痛と陣痛の間は痛くても眠れると聞いたことがある。

そんなことはない。自分は一睡も出来なかった。

おい、話が違うじゃねぇか

 

「安産は楽」と聞いたことがある。

陣痛開始から出産まで8時間半ほどだった自分は世間一般で言う安産だった。

断言しよう。楽とは思えなかった。

おい、話が違うじゃねぇか

 

陣痛は腰やお腹が痛いと聞いていた。

普段腰痛とは無縁のため、腰痛のみを気にしていた。

実際は、お腹・腰のみならず太ももも痛くなるし、嘔吐だってした。

そして、破水と尿漏れは自分で判別できない。

陣痛が来るたびに羊水が漏れていたようだが、尿漏れだと感じていた。

おい、話が違うじゃねぇか

 

そんなこんなの妊娠・出産奮闘記。

ファストファッション

自分はなかなか服を買わない。

流行に左右されるようなものはほぼ購入せず、破れたり傷んだり必要になってようやく購入を検討している状態だ。

だからと言って全身ブランドで固めているわけでもない。

少なくともここ3年で購入した服はユニクロしまむらで構成されている。

先日、初めてH&Mに行った。

自宅近くに店舗がなく、実家に帰ってきたら行動範囲内にできていた。

自分が実家に住んでいた頃はまだなかったのか自分が知らなかったのかでH&Mには入ったことがなかった。

まず感じたことは、たまたま入った店舗がそうだったのか、売り場が広かった。

2階分の売り場で対象者によって分かれていた。

今まで1つの店舗で2階に分かれていたような店に入ったことがなかったため驚いた。

ちなみに、ショッピングセンター内にある店舗だ。

売り場の中に階段があって、店舗から出ずに階の移動ができることも驚いた。

これだけ広いスペースを確保している店舗だから、かなり品揃えは良いのだろうなとは思う。

だが、自分は服にこだわりがないこともあり、どれも同じで色だけが違うように見えていた。

そして、たまたま自分が手に取ったものがそうだったのか、向こうの景色が透けて見えるくらい布地が薄かった。

これには驚いた。

ちなみにシースルーのものではない。普通のTシャツだ。

最近はTシャツも買うことがほとんどなかったため知らなかったが、これだけ薄い布地を作れる技術に感心した。

嫌みとかではなく、本気で思った。

というのも、自分はたまに編み物を行うことがある。

そんなに器用ではないが、棒針編みでならいろいろと作ることができる。

そのときにどれだけ細い糸を使っても、景色が透けて見えるくらいは出来ない。

毛糸と布地の違いこそあれど、人が着られる程度の強度を持ち、尚且つ透けるくらい薄いのは凄さを感じる。

自分の中では
布地が透ける=着倒したもの
という感覚のため、購入はしなかったが、自分の中の価値観が変わるくらいの発見だった。

季節柄、半袖ばかり売っていたため購入する物がなかったのもある。

自分は年中七分袖以上の長さのものしか着ないため、半袖は買う必要がない。

昔は7月頃から開催されている夏のバーゲンに行っていたが、ここ数年は行っていない。

バーゲンに行っていた頃も、友達との付き合いで行って自分は買っていなかった。

自分が半袖を完全に着なくなったのは中学生の頃、当時のお小遣いは月1000円。

友達と1回遊びに行き、昼食を食べたらなくなるくらいの金額だ。

ちなみに実家から繁華街までの往復の交通費は800円。(子供料金で)

それを浮かせるために、繁華街までは自転車で行っていた。

たまに3000円くらい貯めて小物を買うのは好きだった。

3000円くらいの肩掛けのカバンを買ったときのことはよく覚えている。

可愛らしい猫の刺繍が入っていたデニム地の物だった。

かなり使って底に穴が空きそうになったため手放した。

柄も子供向けだったからちょうど良かったのかも知れない。

そんな昔のことに思いを馳せていた。

2017年9月 増えたもの 減ったもの

【増えたもの】
・内服薬(4日)
・化粧品等のストック入れの箱(4日)
コンタクトレンズ(5日)
・オプティフリー(5日)
・段ボール1箱分の子供服(5日)
・沐浴器(5日)
・布おむつ(5日)
・使いかけの紙おむつ(8日)
・箱ティッシュ3箱(8日)
・ウェットシート(8日)
ラズベリーリーフティー(13日)
・2018年の手帳のリフィル(13日)
・ウェットシート(16日)

【減ったもの】
・赤の色鉛筆(3日)
・オレンジの色鉛筆(4日)
グロス(4日)
・緑の色鉛筆(5日)
・アイライナー(5日)
・黒の色鉛筆(6日)
・ノート(8日)
・ポケットティッシュ(9日)
・黒の色鉛筆(10日)
・酸素系漂白剤(11日)
・青の色鉛筆(13日)
・ポケットティッシュ(13日)
・サニタリー用品1種(14日)
・中学の頃の美術の作品(15日)
サプリメント1種(16日)
・ウィンドブレーカー(17日)
・紫の色鉛筆(20日)
・サニタリー用品1種(20日)
サプリメント1種(20日)
・ノート(21日)
サプリメント3種(22日)
・色鉛筆セット(30日)

 

と、物のことのみを書いた日記

洗濯が好き

自分は、家事が好きだ。

 

家の中で何かをすることが好きだ。

 

ただ、料理はあまり得意ではない。

 

味付けが上手くいかない自覚があるが、味見しても分からない。

 

掃除は道具(雑巾1枚)があればいくらでも拭いている。

 

先日も、1日中床拭きしていた。

 

そんな中、一番好きなのは洗濯だ。

 

先日、洗濯槽を洗浄した。

 

 とてもじゃないが、人には見せられないような黒かびが出た。

 

これで子どもの下着を洗わなくて良かったと思った。

 

実は、子どもの服などを大量にいただき、下洗いする前に洗濯槽を洗浄した。

 

 スッキリした。