安産は楽か?
「安産は楽」と聞いたことがある。
恐らく世間一般での常識なのではないだろうか?
元々上半身に比べて下半身に肉付きが良かった自分。
妊娠前から安産体型だと言われていた。
そして、陣痛開始から出産まで8時間半ほどだった自分は世間一般で言う安産だった。
医者からも安産だと言われるくらいだ。
そんな中断言しよう。
自分は初産であったことや、同じ日に出産した人が院内にいなかったから比較できないが、楽とは思えなかった。
痛いもんは痛いし、会陰切開した部分はひきつるし、出血量は多かったようだし、出産当日に会った人からは「顔が死んでた」と言われるくらいだった。
おい、話が違うじゃねぇか
と言いたいところだが、産後は思ったよりも回復が早いなとも感じている。
これも安産のおかげさまなのかも知れない。
陣痛中の睡眠
親から、陣痛と陣痛の間は痛くても眠れると聞いた。
どうやら気絶するように寝て、陣痛の痛さで起きるそうだ。
自分は人間の三大欲求の中で睡眠欲が一番強いから、がっつり眠ることになるだろうと思っていた。
事実、前駆陣痛でも規則的な周期で痛むものが起きたとき、カウントしながら寝ていたことが何度かあった。
しかし陣痛は違った。
夜中の眠い時間に痛みが来て、痛みが引いた後も寝付けなかった。
痛みから解放されたくて目は瞑っていたが、出産まで一睡も出来なかった。
もっと言うと、産後は神経が興奮していたのか、3時間ほど眠れなかった。
これは妊娠のことを知っている友人・知人に最低限ではあるが報告していたからもあるが…
とにもかくにも睡眠のことで言いたいことがある。
おい、話が違うじゃねぇか
グリグリしてみても子宮口が開かない
38週の検診から、子宮口の開き具合も診てもらっていた。
39週・40週の検診でも子宮口がほぼ開いていないため、出産の時間はかかりそうと説明された。
初産なのもあり、陣痛から1日以上かかることは覚悟していた。
しかし、予想は裏切られた。
実際は、トータル8時間半で出産を終えたからだ。
8時間半なら経産婦並のスピードだと思うのだがどうなんだろう?
ちなみにこの8時間半のカウント開始は陣痛が10分を切ったららしい。
自分は気付いたら7~8分間隔になっていたから、10分間隔をしっかりと測っていたらもう1時間くらい長いことになる。
それでも自分が思っていた以上に自分は体力があるんだなと実感できた。
1日以上かかることを覚悟していたからかも知れない。
それにしても子宮口が開かないと言われていたから一言言いたい。
おい、話が違うじゃねぇか
40週2日目の朝
予定日超過し、早く出てこないかなと思っていた40週1日目。
40週2日の日に地元でお世話になった団体がある催しに出展するとのことで見に行こうと思っていた。
しかし、朝からお腹が痛い。
いつもはお腹が張った痛みくらいしかなかったが、腰が痛い。
しかも痛いときと痛くないときがはっきり別れている。
時間を測ってみた。
11~12分程だった。
実家から病院までは片道30分。しかも日にちが日にちだから更に行くのには時間がかかる。
とりあえず病院へ連絡する。
「来てください」とのことで、入院道具を持って行く。
病院へ行く途中に痛みは収まってきた。
着いた頃には30分くらいに1回痛む間隔になった。
「まだ陣痛とは言えないですね。
どうする?明日誘発剤使っていくけど今日から入院してもいいよ」
この日に入院したとしても誘発剤を1日早く投与することもないとのことで、この日は帰宅した。
この日の夜、また痛くなってきた。
日付が変わる頃には7~8分間隔になっていた。
病院へ連絡したらすぐ来てほしいとのこと。
病院到着後
・5時間で子宮口全開
・その1時間半後、出産
前日に病院に来てから22時間後のことだった。
40週2日の時点でまだだと言われていたから一言。
おい、話が違うじゃねぇか
子宮口が開かない
40週0日の検診で、子宮口が開いていないため、40週3日で誘発剤(陣痛促進剤)を使用することが決まった。
40週になるまでなにもしなかったわけではない。
36週からは毎日1時間ほど散歩に出かけていたし、母乳が出るように乳頭をしごいていた。
38週に入ると毎回病院で卵膜剥離をしていた。
いわゆる「内診グリグリ」ってものだ。
37週にはNST(ノンストレステスト。なにもしていない状態でのお腹の張りを診る)を実施。10分くらいで張っていたが、自分も子どもも「ふ~ん」くらいでなんともなかった様子。
それでも40週0日で子宮口が開かない。
予定日付近なら自覚なく1cmくらい開くのが普通みたい。
あまり長いこと胎内にいると、いろいろなリスクが増加するため誘発剤を使用することが決まった。
40週3日に入院し、誘発剤を使用すると40週4日には生まれるだろうとのことだった。
自分が里帰りしていて、夫は40週4日に地元へ来る予定だったからちょうどいいと感じた。
しかし、そうはいかなかった。
40週2日の夜、お風呂から上がった辺りから痛くなってきた気がした。
「明日入院だから平気」と思いつつ、配偶者と電話。
どうやら配偶者は家族に今日にも産まれると連絡したらしい。
残念。まだだった。
とか言っていてもやっぱり痛い。
でも明日入院だから平気。
けど痛い。
日付が変わる前に一応間隔だけでも測ってみた。
あれ?
7~8分間隔じゃね?
確か10分間隔切ったら連絡してほしいと言われていたはず…
…いや待てよ。とりあえず1時間くらい様子を見よう。
やっぱり7~8分間隔くらいだ。
むしろ少し短くなってきた?
すぐさま病院へ連絡。
到着後すぐさま内診。
あ、開いてきとる。
病院へ着いた頃には6分間隔。
病院到着後約5時間で子宮口全開。分娩室へ入る。
医者の判断で会陰切開してもいいかと言われる。
「切ってください。」と速答。
切られた後、産まれそうになっている自分が放った一言
「股が裂ける」
それに対して医者の一言
「もう裂けているよ」(会陰切開後だったため)
で、出産。
外来診察開始の30分前だった。
ちなみに自分はこの日、外来診察を受けてから入院する予定だった。
誘発剤使用も言われていたのに直前で産まれた我が子に一言
おい、話が違うじゃねぇか
おっちゃん
昨日、とてもお世話になったおっちゃんの通夜があった。
この人のことは「おっちゃん」と呼ぶような仲ではなかったが、この人と出会っていなければ人生が変わっていたことは間違いない。
個人名をブログに出すことに強い抵抗があるため、便宜上 おっちゃん とさせていただく。
おっちゃんとの出会いは自分がまだ未成年の頃だった。
その頃に始めたバイト先で出会ったのがおっちゃんだった。
自分はかなりの落ちこぼれだった。
そんな中でもおっちゃんと店長は優しかった。
おっちゃんは人をよく見ていて、和を大事にしていた。
店長もその考え方は同じだったようだ。
いろんなことに興味があり、それらをそつなくこなすとても器用なおっちゃん。
店舗の中で偉い立場だったけど、威張ることは一切なく、「散歩の途中で寄りました」くらいの雰囲気で店舗に来ては仕事をしていった。
トレードマークなのか、印象的な外見だった。
事故やケガなどに繋がらないようなミスなら笑って許してくれていた。
「失敗から学べば良い」といった考えだったのだろう。
おっちゃんがいる日は心なしか嬉しかった。
自分は大学の頃、実習等で長期間休みを取ることも多々あった。
それでもおっちゃんはOKしてくれた。
人手は足りなかったが、おっちゃんと店長の人望は厚く、卒業等で辞めた人も声をかけたら手伝ってくれたりもした。
そんな姿を見ていたからか、自分が大学卒業後、就職できずにいたときにそこでのバイトを続けた。
何ら抵抗はなかった。
ただただここの居心地が良かったし、人手が足りないことも分かっていたからバイトをした。
おっちゃんは自分の就職のことや体のことを事あるごとに心配していた。
大学卒業から半年後に契約社員の仕事が決まったときも一番に喜んでくれた。
本当は人手が足りないだろうけど快く送り出してくれた。
そのため、契約期間終了後に自分は再び地元に戻り、働きだした。
おっちゃんは店にいると分かっていたからだ。
その後、勤務中に自分が倒れてしまい多大なる心配をかけてしまった。
それでもおっちゃんは見捨てなかった。
自分はここで働き続け、地元を離れるその日までおっちゃんのお世話になった。
昨年、自分の結婚が決まり店へ挨拶に行った。
おっちゃんも相変わらず元気そうで、配偶者を見たときに「素敵な人だ」と即座に言ってくれた。
とても嬉しかった。
そんなおっちゃんの突然の訃報が届いた。
悲しさよりも空虚感が大きい。
通夜か葬儀に出席したい気持ちもあるが、自分は今、生後間もない子どもがいる身。
完全母乳で育てているため子どもを預けることもできない。
かと言って、人の多いところへ連れて行くわけにもいかない。
当時のバイト仲間に葬儀に行くか聞いて、行くなら香典を預かってもらおうと思っていたが、日中のため行けないとのこと。
それなら、遅くなるけどバイト先に香典を持っていこう。
自分なりの、せめてもの弔いだ。
自分にはやりたいことがあった。
子どもが生まれたら、店の店長とかに子どもを抱いてほしいと思っていた。
この「店長とか」は店長の他におっちゃん・社員さん・先輩が含まれている。
しかし
店長は退職している。
おっちゃんは亡くなった。
社員さんは音信不通。
先輩は連絡は取れるものの店は退職後で会いに来る様子もない。
自分のやりたいことは達成出来なかった。
おっちゃんは自分が出産したことを知らない。
せめて出産したことを伝えるべきだったと後悔している。
何はともあれ
おっちゃん、長い間お疲れ様です。
おっちゃんと会って人生が変わった1人として、最期の時には参列できませんが、ご冥福をお祈りします。
エコーの話
妊婦検診では、胎児の様子を見るために毎回お腹の上からエコーをあてる。
そこで、胎児の大腿骨の長さからおおよその体重を割り出している。
自分はその体重を見て、前回からどのくらい成長したか、標準より大きめ(小さめ)かを見るのが楽しみだった。
里帰り出産だったため、最後の方は別の病院へ転院した。
そこでも毎回エコーの検査があった。
臨月に入った初回の検診で、胎児の推定体重は2600g程度まで成長した。
だいぶ大きくなってきたし、2500g越えていたら大丈夫と聞いたから早く産まれてくれないかなと思っていた。
そして、生まれるまでにどこまで成長するかも気になっていた。
しかし、2600g越えと言われてから39週までずっと2600g台と言われ続けた。
40週でも2800gとのことだった。
成長していないのは不安だったが、2500g超えていることは確実だから気にしなくてもいいとのことだった。
某サイトで相談したら、小さく産めて楽だと思えば良いとも言われた。
確かにそうだなと思った。
そして出産。
産まれた子どもはとても小さく見えた。
「2800gくらいだからな」と産後の脳内で思っていたら、体重を計測した助産師さんが一言
「3200g越えているね」
えっ(゜〇゜;)サンゼンニヒャク?
だって2800gくらいって聞いてましたよ?
なんなら39週までは2600g台でしたよ?
ほんとに3200g?
予想外の大きさに思わず一言
おい、話が違うじゃねぇか