【紹介】6~11歳
自己紹介のような日記、小学生編です。
6歳 小学校入学
5歳のときに引っ越したため、知り合いが1人もいなかった。
入学式の日に学童帽を忘れた覚えはある。
席は男女それぞれ誕生日順で、自分は同性の中では最後だった。
そのためか、同性の中で一番体が小さかった。
今でこそ身長は高めだが、小さかった時期があるためか未だに低く見られることはよくある。
7歳 小2
近所の公園の坂を自転車で下りたところ、転倒。
永久歯になったばかりの歯を折った。
このとき、唇が腫れて痛かったことの方が印象強い。
そして、人生初の歯科医院。
歯はくっついたが跡が残った。
あと、この年は近所にサーカスが来た。
サーカス団の子どもがクラスに来ていた。
今はなくなってしまったサーカス団だが、自分の中でサーカスといえばここというイメージは今でもついている。
8歳 小3
放課後、教員と腕相撲をよくしていたが、勝てた試しがない。
その内、教員が腰を痛め、腕相撲禁止になった。
この頃からそろばんを始めた。
計算が早くなって楽しかった。
当時、聞き取り算が得意だった。
9歳 小4
何をしたか覚えていないがある日の午後、10人位が教壇に呼ばれ、クラスメイトの前で何発も平手打ちをされていた。
問題になったのか、翌日からは別の教員が来た。
この人の記憶はない。性別も覚えていない。
10歳 小5
自分の通っていた小学校は5・6年のみ校舎が別だった。
この年から校舎が変わり、玄関から教室までとても近くなった。
週に1回程度のクラブ活動で走る楽しさを知った。
この頃バスケのスポーツクラブにも入る。
5年から始めるのは遅かったようで、周りは3年辺りからしていた様子。
きょうだいがと一緒バスケのスポーツクラブに入ったが、馴染めなかった。
また、バスケは体の大きな人が有利だが、自分は2学年下の人よりも体が小さく、細かった。
体の大きさのコンプレックスが強くなった。
11歳 小6
当時の担任は髭を伸び散らかしていた。
何故か聞いてみた。
「障害者は悪いことをしていなくても目立つ。髭を生やすことで周りの障害者に向けられる好奇の目を自分へ向けられたら障害者は生きやすくなると思った。」
この担任の考え方は今の自分にも少なからず影響を及ぼしている。
当時、身近に障害者がいた。
関わりはなかったが、確かに好奇の目で見てきたことは事実だった。
この担任は、差別・偏見をなくしたいと思っていたのだろう。
とは言え、自分の中では髭は遊び道具だった。
また、自覚はなかったが視力が落ちてきていたため、担任を見分けるときには髭で見分けられて好都合だった。
この担任は授業以外の大切なことも数多く教えてくれた人と言える。
卒業式後、茶話会を近所の公民館で開き、このときのクラスにはきょうだいが多い人がたくさんいたことは印象強かった。
年代的に一人っ子はいなかったのかもしれない。
小学校通して体は小さいままだった。
そのことでからかわれることも多かった。
また、名前が当時珍しかったこともあり、冷やかしの対象になっていた。
それが嫌で年6のときに中学受験も考えたが、金銭的問題で実現しなかった。
地域的に中学受験は誰もしなかったため、エスカレーター式で地元の中学に進学した。
今になって思えば、あのとき逃げておくべきだった…
【紹介】0~5歳
自己紹介のような日記です。
とは言ってもこの時期のことはほとんど覚えていないため、ほぼ聞いた話です。
0歳 出生
病院だったらしいが、どこかは知らない。
どちらの足か分からないが、薬指の位置がずれていた。
そのため、気のせいなのか若干足の薬指が他の指より細い気がする。
日常生活で支障はない。
1歳 きょうだい誕生
とは言ってもまだ記憶はない。
年齢的には1歳差だが、学年的には2学年差になる。
2歳 きょうだい誕生
ここもうっすらとしか記憶はない。
2歳と言っても自分が3歳になる3日前にきょうだいが生まれたため、ほぼ3歳だ。
きょうだいがかわいく思え、病院から帰りたくなかったことだけは覚えている。
こんな感じにきょうだいが増えたため、3番目のきょうだいと自分の誕生日はとても近い。
また、1年に3日だけきょうだいの年齢が全て1歳差になる。
3~5歳 幼稚園
全体的に特にこれと言って覚えてはいない。
聞いた話だと
・絵が壊滅的に下手だった
・好きな異性の子のトイレまで付いて行った
・やたら道に詳しかった
とのこと。
未だに絵は下手だが、苦手意識はない。
そもそも今は書くことがないから気にしていない。
トイレの話は覚えていないし、今の自分はストーカーでもない。
道のことは、誰かの運転する車に乗った際、目的地までの道順を完璧に覚えていた。
融通が効かなかったようで、違う道に入ると分からなくなった。
今でも道を覚えることは得意だし、仕事に活かしていた時期もあった。
それから、5歳のときに引っ越した。
引っ越し前に自宅から物がどんどんなくなったことは覚えている。
旧宅の間取はある程度覚えているが、トイレの位置が思い出せない。
和式トイレだったことは覚えている。
家の場所も覚えているし、未だに行ける。
新宅から車で10分ほどの距離だ。
今は別の人が住んでいる。
また、近所にあった銭湯は3階建のマンションになっていた。
いつか覚えていないが、旧宅の向かいの建物が火事になったことがあった。
あんなに間近に消防車を見たのはこのときくらいだ。
引っ越したら幼稚園までの距離が遠くなった。
それでも新しい道を覚えられて楽しかった。
25歳
2つの大きな『選択』と25歳という『年齢』
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生きてくなかで小さな分岐点が無数にあって
選んだ先にそれぞれ未来があって形は変わる でも
どの未来でも君とは一緒にいると思うんだ
例えば、二人が…
かなり前の曲になると思うが、こんな感じの歌詞の歌があった気がする。
曲名どころかアーティストも覚えていないため探す気はない。
パクりです。ただ、どこの誰のものか分かりません。すみません。
自分のことを振り替えると、25歳のときに人生でこれ以上ないほどの大きな選択をした。
当時は地元でフリーターだった。
特に地元が好きな訳じゃない。
むしろ嫌っていた。
かと言って都会に憧れた訳でもない。
自分のことを知っている人がいることが煩わしかった。
何かあると昔の話を持ち出されることが嫌でたまらない。
また、25歳だと同級生の中には結婚・出産した人もいる。
当時既に高校までの関係をリアル・ネット共に全て遮断していたが、同居家族が子ども向けのサービス業に従事していたため、家族づてで同級生の情報が入ってきた。
「○○ちゃんは○歳の子のお母さんになっていた」
「○○ちゃんの名字が●●になっていたけど、小中学校の同級生に●●って名字の人いた?」
「今日、○○くんの子どもが…」
特にこれと言って感想はない。
強いて言えば「ふ~ん」と思うくらいだった。
ある日、同居家族はふとした拍子に自分の話を同級生にした。
今までリアル・ネット共に関係を断ち切って来たのに何故家族が自分の身の上を同級生に伝えた?
関係を断ち切って来たのにも理由があるのに、何故話す?
同居していたとは言え、信じられなくなった。
もう何もかも嫌だった。
家族も
地元も
アルバイトも
自分の置かれている状況全てが嫌になった。
それからの行動は早かった。
誰にも相談せず、仕事を探した。
フリーターだったのは、当時のアルバイト先の1箇所が正社員登用する話があったから。
しかしいつから正社員になるといった具体的な話はなく、口約束のようになりずるずると半年経過していた。
正社員になれるならと嫌いな地元で我慢していたが限界だった。
自分はある国家資格を持っていたため、その資格を使った仕事をネットで探した。
条件は
・地元から遠く離れた場所にある。
・ひとり暮らしできるくらいの給料が出る。
この2つだけだが、低賃金が叫ばれる業界のため、ひとり暮らしできるくらいの給料が出るというと正社員しかない。
条件を入れて検索した。
かなりの数が出てきた。
その中でも最も遠い場所に電話連絡した。
あまりにも遠過ぎていたずらと思われないためにだ。
相手方から履歴書を送付してほしいと言われ、その日の内に送った。
後日、連絡が来て
「採用の方向で考えている」
との返答だった。
後は地元を出る準備をするだけだった。
アルバイト先には新住所を伝え、地元を出る直前までは働いた。
同居家族にも就職して出ていくことを伝えた。
地元からそこまでは1800km離れているため、少しでも持っていくものを減らしたかった。
そこで、部屋のものをひたすら捨てた。
今までの何もかも嫌だった生活から少しはスッキリした。
そして25歳の7月25日、アルバイト上がりにバイト仲間と4人でラーメンを食べてから地元を出た。
これが25歳のときの1つ目の選択「新天地での就職」です。
新天地に慣れた頃、職場が主催する催しが行われた。
大きい催し物であるため、ボランティアが多数来ていた。
催し物が終わりかけた頃、ゴミを車で処理場まで運ぶ役割が当てられた。
自分一人の力では処理場のシャッターを開けられないため、ボランティアにお願いした。
「一番大きな人、ゴミ出し手伝ってもらいたいです。」
そこにいた人の中で一番体格の良い人が来た。
職業柄いかつく見えた。
ゴミを積み出発したが、緊張していたため少し話してみた。
「出身はどちらですか?」
この人は転勤の多い職場のため、地元出身者以外も多数いると聞いていた。
「○○県○○市です。」
びっくりした。
何故なら同郷だったから。
自分は、新天地に来たときにもう二度と自分の地元のことを思い出すことはないと思っていた。
まさかこんな近くに同郷の人がいると考えもしなかった。
話を進めると、どうやら実家同士が車で20分くらいの距離なことも分かった。
この日はその後、催し物の打ち上げをし解散した。
数ヵ月後、同郷の人の転勤が決まった。
そのことを同郷の人は自分に伝えたいと思っていた。
しかし、連絡先を交換していなかった。
同郷の人は通院していて、通院最後日にたまたま自分が仕事で来院していたため会えた。
そこで連絡先交換をし、食事に誘われた。
その後仲良くなったが同時に不安にもなった。
同郷の人がいなくなったら寂しいとも思えた。
「転勤後、自分との仲はどう考えている?」
「結婚しよう」
即答だった。
自分の不安は一気に解消された。
26歳になる10日前のことだった。
自分は了承し、翌年入籍した。
これが2つ目の選択「結婚」です。
配偶者とは自分が新天地に行かなければ会えなかっただろう。
もし自分が新天地にあと1年行くのが遅ければ配偶者には会えなかった。
自分が別のところに就職していたらやっぱり会えなかった。
同郷で実家同士が車で20分とは言え、配偶者は就職後地元にほとんど行かなかったから地元で会う可能性は0だった。
配偶者が通院していなければ会えないまま転勤していただろう。
様々な偶然が重なりあい、結婚ができたと思っている。
フェイクはどちらも一切入れていない。
しかし、フェイクと思われても仕方ない1年を25歳のときに過ごしたことは事実だ。