【紹介】18~21歳
自己紹介のような日記大学生編です。
18歳 大1
高校と比べるととても自由だった。
サークルに2つ入ったが、バイトや講義でほぼ行かず、すぐに幽霊部員になった。
ただ、それぞれのサークルに属していたことで今でも付き合いのある同級生や先輩ができた。
それ以外でも仲良くなった同級生とは今でも何でも言い合える仲だ。
後期に入ると講義が増え、バイトもシフト的に入れなくなったため、バイト先を変えた。
このバイト先は半年ほどで閉店したが、バイト仲間とは2年くらい付き合いがあった。
更に、自治体のカルチャースクールも受けた。
このときの経験は今も役立っている。
19歳 大2
ある免許を取るための講義が始まり、ますます講義が多くなった。
元々2つの資格が取得できる学科だったこともあり、自分の学科で免許を取ろうとしたのは自分だけだった。
レポートの課題もかなり出ていたため、脱落者も多かった。
また、バイトも新しく始めた。
このバイト先はとても長いことお世話になるとは思いもしなかった。
カルチャースクールでの繋がりも継続中だった。
自分の親くらいの年齢の人に混じり活動した。
カルチャースクールの人は面倒見の良い人が多く、とても居心地が良かった。
学校・バイト・カルチャースクールの活動と忙しかったが、自分で決められる自由が嬉しくて何の不満もなかった。
20歳 大3
講義の数は更に増え、週25コマ中23コマは講義に出ていた。
相変わらずバイトもカルチャースクールの活動も行っていた。
講義でのストレスをバイトにぶつけ、カルチャースクールの活動で癒されていた生活だった。
そして、就職のことを考える必要が出た。
地元に居る気はなかった。
考えた結果、親戚のいる県外への就職を希望した。
仕事は、大学で取得する免許を使って働けば二度と地元に戻らなくていいと考えた。
ここから就職試験のための勉強を始めた。
このときが人生で一番勉強した時期だった。
大好きなバイトも店長に就職が決まるまで休みたいと伝えたら快く了承してくれた。
21歳 大4
前期は実習や就職試験の関係でほぼ大学へ行っていない。
就職試験は一次は受かったが、二次で落とされた。
そこで、補欠者が出たときの補充の登録をした。
ここに登録をすれば100%働けると大学教授に言われ、信用して就活を終えた。
そして、バイトに復帰した。
とても楽しかった。
自分がいない間に新人が入ったが、どうやら店長と社員はそのバイトの子が好きだったようだ。
自分はなんとも思っていなかったが、今どきの感じだった。
大学卒業時、バイト先に礼を言い、カルチャースクールの人達にも就職の報告をし、地元を出た…はずだった。
【紹介】15~17歳
自己紹介のような日記高校生編です。
15歳 高1
行きたいとも思わなかった高校で、やりたいとも思わなかった部活の毎日。
朝が弱いため、朝練が辛かった。
また、体も成長して体重が標準くらいまで増えていた。
陸上は中学までと思っていたから部活を辞めた後、暴飲暴食をした結果だ。
まずは痩せることから始まった。
一時期は入学時より10㎏ほど痩せた。
この頃は太ももが膝より細かった。
無理に体重を落としたため、体に大きな負担がかかっていた。
16歳 高2
後輩が入った。
幸い同じ中学から来た後輩はいなかったが、中学で起きた事の影響で信用できなかった。
自暴自棄になった。
自分なんかどうでもいいと思え食べまくり、そして吐いた。
異が小さくなっていたため、大量の食べ物を受け付けなかった。
体重が増え、気がつくと10㎏戻った。
更に自己嫌悪し、負の循環に陥った。
この頃からよく海に行くようになった。
潮風や波の音が心地よく、唯一自分を受け止めてくれている気がした。
だが、親から禁止された。
自分はケータイも持たず、夜中にフラフラと海に行っていたため、親が心配したのだろうと思う。
心の拠り所がなくなった自分は出会い系に手を染めた。
ただ必要とされたかった。
何をされても部活と比べればマシだった。
それも長くは続かず、更には学校にまでバレ、親にケータイを取り上げられた。
そうすると次は部活を辞めたい思いが強くなった。
ただでさえやりたくなかった部活。
校則の他に部則があり、自由になれない感覚が強かった。
何度も親や顧問に辞めたいと話したが聞き入れられず、そのまま続けることになった。
17歳 高3
5月で辞めようと思っていたが、強制的に11月まで続けさせられた。
また、進学のことも考え始めた。
自分は大学に行きたいと考えていた。
家庭の経済状況を考え、できれば県内の国公立と思ったが、特に勉強したい分野はなかった。
自分は何をしたいのか?初めて本気で考えた。
今までは流れに任せて来たから、嫌な思いをしてきた。
それなら今回は自分が選択できる範囲内で最良のものを選択したいと思った。
考えた結果、後に母校となる某大学への進学を希望した。
部活が11月まであるため、入試に時間は割けないと思った。
なんとかして校内推薦をもぎ取り、推薦入試を受けられた。
11月に部活を辞め、受験も合格し、12月からは学費稼ぎのためバイトを始めた。
部活を辞めた後は毎日のようにバイトをしていたが、部活よりもずっと楽しかった。
【紹介】12~14歳
自己紹介のような日記中学生編です。
12歳 中1
地元の中学に入学。
自分の通っていた小学校と別の小学校1校の人が同じ中学の範囲内だった。
当時の文科省で認められている最大の人数のクラスだった。
この年、1年で20㎝以上身長が伸びたことで平均的な身長になった。
入学時に買った制服はすぐ小さくなったが、金銭的理由で買い替えられなかった。
卒業まで短い制服を着続けた。
部活は最初、バスケ部に入った。
自分としては陸上部に入りたかったが、親からの反対に遭い、仕方なく入った。
最初の練習は校庭20周から始まった。
走るのは好きだったため、苦にならなかった。
それと同時に、陸上部に羨ましさを感じていた。
バスケ部では体が小さいことで、ディフェンスの練習でよく吹っ飛ばされていた。
ある日、バスケ部と陸上部合同練習が行われた。
陸上部の長距離専門の人の後ろに何周まで付いていけるかを見られた。
他の部員が続々と落第していく中、自分と同学年のバスケ部エースのみ付いていけた。
バスケ部顧問は自分がそんなに走れることを知らず、驚いていた。
後々分かったが、この日の部活は駅伝の補充選手候補を選ぶ目的もあった。
陸上部顧問は自分のことをいろいろと聞いてきた。
バスケ部は人数が多く、練習試合も出たことがないと伝えると、勧誘された。
駅伝大会までは陸上部と一緒に練習し、大会後に転部した。
13歳 中2
後輩が入ってきた。
きょうだいがいた関係で自分のことを知っていた後輩からは急激に身長が伸びたことを気持ち悪く思われていた。
また、同級生が1人転部してきた。
今で言うウェーイ系の人だ。
元々陸上部はウェーイ系が多かったため、転部してきた人はすぐに馴染んだ。
自分は部員とは部員以上でも以下でもない立場だったが、どんどん孤立した。
7月、部活終わりに居残り、帰宅途中に突如羽交い締めにされ、近くの団地へ連れていかれた。
ただただ驚き、何も抵抗できなかった。
コンクリートに頭を押し付けられた。
相手の顔が見えた。部員と後輩だった。
そこからの記憶は曖昧だ。
今でも体にはそのときに負った傷が数ヶ所ガッツリと残っている。
見る人が見たらヤンチャしていた証拠ともとれるような傷跡だ。
以降、自分は傷跡を隠すため肌を隠す服を着るようになった。
14歳 中3
中2の件以降、地元から離れたい気持ちが出た。
しかし、これと言ってどこに行きたいとかはない。
自分の実家は徒歩1分のところに高校がある。
行く気はなかったが、他校の滑り止めとしてこの高校を受験し、合格した。
翌日、高校から入試の成績が優良だったため他校を受験せず入学した場合、高校3年間の授業料を全額免除するという手紙が届いた。
他校を受けたいとは思っていたが行きたいところもなく、家庭の経済状況も考え、この高校への入学を決めた。
このとき、陸上は中学で辞めようと考えていたが、何故か中学の陸上部顧問が高校の陸上部顧問に自分のことをよろしくと頼んだようで、高校では強制的に陸上部への入部が決まった。
【紹介】6~11歳
自己紹介のような日記、小学生編です。
6歳 小学校入学
5歳のときに引っ越したため、知り合いが1人もいなかった。
入学式の日に学童帽を忘れた覚えはある。
席は男女それぞれ誕生日順で、自分は同性の中では最後だった。
そのためか、同性の中で一番体が小さかった。
今でこそ身長は高めだが、小さかった時期があるためか未だに低く見られることはよくある。
7歳 小2
近所の公園の坂を自転車で下りたところ、転倒。
永久歯になったばかりの歯を折った。
このとき、唇が腫れて痛かったことの方が印象強い。
そして、人生初の歯科医院。
歯はくっついたが跡が残った。
あと、この年は近所にサーカスが来た。
サーカス団の子どもがクラスに来ていた。
今はなくなってしまったサーカス団だが、自分の中でサーカスといえばここというイメージは今でもついている。
8歳 小3
放課後、教員と腕相撲をよくしていたが、勝てた試しがない。
その内、教員が腰を痛め、腕相撲禁止になった。
この頃からそろばんを始めた。
計算が早くなって楽しかった。
当時、聞き取り算が得意だった。
9歳 小4
何をしたか覚えていないがある日の午後、10人位が教壇に呼ばれ、クラスメイトの前で何発も平手打ちをされていた。
問題になったのか、翌日からは別の教員が来た。
この人の記憶はない。性別も覚えていない。
10歳 小5
自分の通っていた小学校は5・6年のみ校舎が別だった。
この年から校舎が変わり、玄関から教室までとても近くなった。
週に1回程度のクラブ活動で走る楽しさを知った。
この頃バスケのスポーツクラブにも入る。
5年から始めるのは遅かったようで、周りは3年辺りからしていた様子。
きょうだいがと一緒バスケのスポーツクラブに入ったが、馴染めなかった。
また、バスケは体の大きな人が有利だが、自分は2学年下の人よりも体が小さく、細かった。
体の大きさのコンプレックスが強くなった。
11歳 小6
当時の担任は髭を伸び散らかしていた。
何故か聞いてみた。
「障害者は悪いことをしていなくても目立つ。髭を生やすことで周りの障害者に向けられる好奇の目を自分へ向けられたら障害者は生きやすくなると思った。」
この担任の考え方は今の自分にも少なからず影響を及ぼしている。
当時、身近に障害者がいた。
関わりはなかったが、確かに好奇の目で見てきたことは事実だった。
この担任は、差別・偏見をなくしたいと思っていたのだろう。
とは言え、自分の中では髭は遊び道具だった。
また、自覚はなかったが視力が落ちてきていたため、担任を見分けるときには髭で見分けられて好都合だった。
この担任は授業以外の大切なことも数多く教えてくれた人と言える。
卒業式後、茶話会を近所の公民館で開き、このときのクラスにはきょうだいが多い人がたくさんいたことは印象強かった。
年代的に一人っ子はいなかったのかもしれない。
小学校通して体は小さいままだった。
そのことでからかわれることも多かった。
また、名前が当時珍しかったこともあり、冷やかしの対象になっていた。
それが嫌で年6のときに中学受験も考えたが、金銭的問題で実現しなかった。
地域的に中学受験は誰もしなかったため、エスカレーター式で地元の中学に進学した。
今になって思えば、あのとき逃げておくべきだった…
【紹介】0~5歳
自己紹介のような日記です。
とは言ってもこの時期のことはほとんど覚えていないため、ほぼ聞いた話です。
0歳 出生
病院だったらしいが、どこかは知らない。
どちらの足か分からないが、薬指の位置がずれていた。
そのため、気のせいなのか若干足の薬指が他の指より細い気がする。
日常生活で支障はない。
1歳 きょうだい誕生
とは言ってもまだ記憶はない。
年齢的には1歳差だが、学年的には2学年差になる。
2歳 きょうだい誕生
ここもうっすらとしか記憶はない。
2歳と言っても自分が3歳になる3日前にきょうだいが生まれたため、ほぼ3歳だ。
きょうだいがかわいく思え、病院から帰りたくなかったことだけは覚えている。
こんな感じにきょうだいが増えたため、3番目のきょうだいと自分の誕生日はとても近い。
また、1年に3日だけきょうだいの年齢が全て1歳差になる。
3~5歳 幼稚園
全体的に特にこれと言って覚えてはいない。
聞いた話だと
・絵が壊滅的に下手だった
・好きな異性の子のトイレまで付いて行った
・やたら道に詳しかった
とのこと。
未だに絵は下手だが、苦手意識はない。
そもそも今は書くことがないから気にしていない。
トイレの話は覚えていないし、今の自分はストーカーでもない。
道のことは、誰かの運転する車に乗った際、目的地までの道順を完璧に覚えていた。
融通が効かなかったようで、違う道に入ると分からなくなった。
今でも道を覚えることは得意だし、仕事に活かしていた時期もあった。
それから、5歳のときに引っ越した。
引っ越し前に自宅から物がどんどんなくなったことは覚えている。
旧宅の間取はある程度覚えているが、トイレの位置が思い出せない。
和式トイレだったことは覚えている。
家の場所も覚えているし、未だに行ける。
新宅から車で10分ほどの距離だ。
今は別の人が住んでいる。
また、近所にあった銭湯は3階建のマンションになっていた。
いつか覚えていないが、旧宅の向かいの建物が火事になったことがあった。
あんなに間近に消防車を見たのはこのときくらいだ。
引っ越したら幼稚園までの距離が遠くなった。
それでも新しい道を覚えられて楽しかった。
25歳
2つの大きな『選択』と25歳という『年齢』
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生きてくなかで小さな分岐点が無数にあって
選んだ先にそれぞれ未来があって形は変わる でも
どの未来でも君とは一緒にいると思うんだ
例えば、二人が…
かなり前の曲になると思うが、こんな感じの歌詞の歌があった気がする。
曲名どころかアーティストも覚えていないため探す気はない。
パクりです。ただ、どこの誰のものか分かりません。すみません。
自分のことを振り替えると、25歳のときに人生でこれ以上ないほどの大きな選択をした。
当時は地元でフリーターだった。
特に地元が好きな訳じゃない。
むしろ嫌っていた。
かと言って都会に憧れた訳でもない。
自分のことを知っている人がいることが煩わしかった。
何かあると昔の話を持ち出されることが嫌でたまらない。
また、25歳だと同級生の中には結婚・出産した人もいる。
当時既に高校までの関係をリアル・ネット共に全て遮断していたが、同居家族が子ども向けのサービス業に従事していたため、家族づてで同級生の情報が入ってきた。
「○○ちゃんは○歳の子のお母さんになっていた」
「○○ちゃんの名字が●●になっていたけど、小中学校の同級生に●●って名字の人いた?」
「今日、○○くんの子どもが…」
特にこれと言って感想はない。
強いて言えば「ふ~ん」と思うくらいだった。
ある日、同居家族はふとした拍子に自分の話を同級生にした。
今までリアル・ネット共に関係を断ち切って来たのに何故家族が自分の身の上を同級生に伝えた?
関係を断ち切って来たのにも理由があるのに、何故話す?
同居していたとは言え、信じられなくなった。
もう何もかも嫌だった。
家族も
地元も
アルバイトも
自分の置かれている状況全てが嫌になった。
それからの行動は早かった。
誰にも相談せず、仕事を探した。
フリーターだったのは、当時のアルバイト先の1箇所が正社員登用する話があったから。
しかしいつから正社員になるといった具体的な話はなく、口約束のようになりずるずると半年経過していた。
正社員になれるならと嫌いな地元で我慢していたが限界だった。
自分はある国家資格を持っていたため、その資格を使った仕事をネットで探した。
条件は
・地元から遠く離れた場所にある。
・ひとり暮らしできるくらいの給料が出る。
この2つだけだが、低賃金が叫ばれる業界のため、ひとり暮らしできるくらいの給料が出るというと正社員しかない。
条件を入れて検索した。
かなりの数が出てきた。
その中でも最も遠い場所に電話連絡した。
あまりにも遠過ぎていたずらと思われないためにだ。
相手方から履歴書を送付してほしいと言われ、その日の内に送った。
後日、連絡が来て
「採用の方向で考えている」
との返答だった。
後は地元を出る準備をするだけだった。
アルバイト先には新住所を伝え、地元を出る直前までは働いた。
同居家族にも就職して出ていくことを伝えた。
地元からそこまでは1800km離れているため、少しでも持っていくものを減らしたかった。
そこで、部屋のものをひたすら捨てた。
今までの何もかも嫌だった生活から少しはスッキリした。
そして25歳の7月25日、アルバイト上がりにバイト仲間と4人でラーメンを食べてから地元を出た。
これが25歳のときの1つ目の選択「新天地での就職」です。
新天地に慣れた頃、職場が主催する催しが行われた。
大きい催し物であるため、ボランティアが多数来ていた。
催し物が終わりかけた頃、ゴミを車で処理場まで運ぶ役割が当てられた。
自分一人の力では処理場のシャッターを開けられないため、ボランティアにお願いした。
「一番大きな人、ゴミ出し手伝ってもらいたいです。」
そこにいた人の中で一番体格の良い人が来た。
職業柄いかつく見えた。
ゴミを積み出発したが、緊張していたため少し話してみた。
「出身はどちらですか?」
この人は転勤の多い職場のため、地元出身者以外も多数いると聞いていた。
「○○県○○市です。」
びっくりした。
何故なら同郷だったから。
自分は、新天地に来たときにもう二度と自分の地元のことを思い出すことはないと思っていた。
まさかこんな近くに同郷の人がいると考えもしなかった。
話を進めると、どうやら実家同士が車で20分くらいの距離なことも分かった。
この日はその後、催し物の打ち上げをし解散した。
数ヵ月後、同郷の人の転勤が決まった。
そのことを同郷の人は自分に伝えたいと思っていた。
しかし、連絡先を交換していなかった。
同郷の人は通院していて、通院最後日にたまたま自分が仕事で来院していたため会えた。
そこで連絡先交換をし、食事に誘われた。
その後仲良くなったが同時に不安にもなった。
同郷の人がいなくなったら寂しいとも思えた。
「転勤後、自分との仲はどう考えている?」
「結婚しよう」
即答だった。
自分の不安は一気に解消された。
26歳になる10日前のことだった。
自分は了承し、翌年入籍した。
これが2つ目の選択「結婚」です。
配偶者とは自分が新天地に行かなければ会えなかっただろう。
もし自分が新天地にあと1年行くのが遅ければ配偶者には会えなかった。
自分が別のところに就職していたらやっぱり会えなかった。
同郷で実家同士が車で20分とは言え、配偶者は就職後地元にほとんど行かなかったから地元で会う可能性は0だった。
配偶者が通院していなければ会えないまま転勤していただろう。
様々な偶然が重なりあい、結婚ができたと思っている。
フェイクはどちらも一切入れていない。
しかし、フェイクと思われても仕方ない1年を25歳のときに過ごしたことは事実だ。