徒然なるままに、

ゆるく・気ままに日常を書けたらいいな

乗り物酔いしやすい夫婦

うちの夫婦は乗り物酔いしやすい。

 

自分は初めて特急列車に初めて乗った際、トイレから出られなかった。

 

配偶者は長距離バスに乗れないと話している。

 

車や普通列車は普段なら大丈夫だが、幼い頃や悪阻がひどい頃はダメだった。

 

2人が最も酔いやすい乗り物はフェリーだ。

 

風も波もない、いわゆる凪ぎの日でもフェリーの中で酔っていた。

 

そんな夫婦が初めて知り合った場所はフェリーでしか行けない離島だ。

 

自分は就職で

配偶者は転勤で

それぞれこの離島へ来て生活していた。

 

東京から片道7時間ほどかかるらしい。

 

自分は東京の出身でも育ちでもないため、東京から来たわけではないが…

 

この離島、本土からは片道約2時間、隣の島からは40分かかる。

 

自分は離島に住んでいた頃、本土から島へ行くときは80%の確率でトイレから出られないほど酔っていた。

 

残りの20%はエチケット袋でなんとか対応できていた。

 

ちなみにエチケット袋を使っていたにも関わらず、エチケット袋から出てきてしまい床を汚したことがある。

 

トイレに駆け込む手前で力尽きたこともある。

 

某船舶会社の方々、ほんとうにすみません。

 

離島から本土へ行く際には40%の確率で酔わなかったんです。本当です。

 

…それでも半分以上負け戦であることは認める。

 

特に冬は低気圧の影響でフェリーが欠航することも多く、運航しても物凄く揺れる。

 

冬場で酔わなかったことはたった1回だけだった。

 

そして、船酔いはフェリーに乗った2日後くらいまで余波が残っている気がする。

 

とにかく気持ち悪い。

 

船酔いダイエットとかできそうなくらい食べられないし、吐き続ける。

 

 

自分の酔い方もひどいが、配偶者も同じような酔い方をしていた。

 

2人でフェリーに乗ったときには会話を楽しむ余裕なんてない。

 

相手を気遣う余裕もない。

 

本土まで行く2時間、寝るかトイレで吐くかしていた。

 

そんな2人への救世主となる(かも知れない)酔い止めがある。

 

「アネロン ニスキャップ」をご存知だろうか?

 

Google先生に聞いたところ、船釣りを楽しむ人も飲んでいるものらしい。

 

早速飲んでみた。

 

配偶者は効果覿面だったようだ。

 

一方自分は飲んでいても吐いていた。

 

むしろ飲んでいる方が余波が長く続く気さえする。

 

2日ほどフェリーが欠航し、ようやく運航したときに乗船したらしばらくフェリーターミナルで動けなくなっていた。

 

もちろん酔い止めは飲んでいた。

 

終わりなき苦しみを味わい、思ったことは一言

「離島で生活できない」

 

結局、このときに乗船したのが自分の最後の乗船になった。

 

この離島行きのフェリーは観光シーズンなら1日4便ほど出ている。

 

夫婦にとっては出会いの地であり、思い出の地でもあるため子供が大きくなったら旅行にでも行こうかと話している。

 

夫婦で最も心配していることは、2人とも船酔いするため子どもも船酔いするのでは?ということである。

 

3~4歳くらいまでは三半規管が未熟すぎて乗り物酔いしないと聞いたことがあるため、行くとするならそのタイミングかとは考えている。

 

船酔いしないためのいい方法を知っている方、教えていただきたいです。

 

心配性ほど物が多い

あくまで自分の周りの人を見ていて思う。

 

様々なことを心配する人と

行き当たりばったりの人

両者を比べると、心配をする人の方が所有物が多い。

 

1つの視点のみで書くこと自体良くないのかも知れないが、このブログは昨今の少ないもので暮らすブーム(?)に便乗している。

 

もちろん自分も少ないもので暮らすよう心がけている。

 

自分自身では多くの物を管理しきれないと考えているし、衣類とかのリサイクルできるもので自分が使っていないものが自宅にあることを勿体ないと感じるから必要なもののみで暮らしたい。

 

そして、できることなら食品と燃料以外の買い物をしたくない。

 

こう思っていることに気付いたのはつい最近だ。

 

購買欲求は元々なかったから素質はあったのかも知れない。

 

いや、購買欲求は単にお金がなかったから諦めがつきやすかっただけなのかも。

 

いずれにせよ、家族や友人を見ていると昔から自分はあまり物を買っていないことに気付いた。

 

 

買い物はしないが、貰い物はよくした。

 

そしてよく保存していた。

 

以前どこかのブログで、必要のないのに保存されているオマケや付属品を「○カラシ」という単位で書いていたものを見た記憶がある。

 

この単位の素となった「カラシ」とは、納豆に付いてくるカラシを指すらしい。

 

確かに使わなくても保存している人はいる。

 

うちの実家は以前保存していた。

 

あの頃のカラシはほぼなくなっていたが、冷蔵庫の隙間等に変色したものがいくつか見つかった。

 

ちなみに自分は納豆のカラシを使うため、保存はしていない。

 

 

心配性な人は

「○○のときに○○がないと困る」

「○○のときには…」

と、様々な状況に対応するため物を多く持っていると感じた。

 

もちろん、先を考えることは悪いことではない。

 

そのために物を所有しようと考えることが自分の生活にとっては苦痛になる。

 

自分は以前、人と関わる仕事をしてきた。

 

「○○さんは何かを食べるとき、必ずおしぼりで手を拭いてからじゃないと食べない。」

「飲食店ならおしぼりは出してもらえるが、そうではない場合はどうする?」

ここで心配性な人は

「自分がおしぼりを持っておけばどこで食べたくなっても大丈夫」

と考えるのだろう。

 

自分の場合

「飲食店に入らなくても、コンビニで食べ物を買えば付けてくれる。」

「もし付け忘れていても近くのコンビニや売店でいくらでも置いてあるだろうからそこで貰ったり買ったりすればいい」

「『おしぼり』じゃないとダメなのか?

○○さんは手を清潔にしたいのではないのか?

手を清潔にしたいのならトイレの洗面台で手を洗えばいい」

と考える。

 

「おしぼりが欲しい」という状況になったらその場で対処すればいい。

 

 

こんな感じでいたため、物は増えずとも不便したことはない。

 

もちろん、例外はある。

 

その場合は個別対応していた。

 

仕事でこうしてその場で対処できるようになってきてから、私生活でも物が増えなくなった気がする。

 

当時は今ほど物を増やすことに意識を置いていなかったが、とくに不便をした覚えはない。

 

あと、若干手先が器用になった気がする。

 

数年前の自分では考えられなかった紙工作ができるようになったり、別の物を代用できるようになった。

 

 

自分はどちらかと言うと元は心配性だったと感じている。

 

今でも心配になり、手が覚束なくなることもある。

 

心配性かつ不安になりやすいみたいで、精神的な嘔吐が起こるときもある。

 

物を少なく持つことで少しずつ心配性を克服したのか

心配性がマシになってきたから物が少なくなったのか

今となってはどちらが先かは分からないものの、自分自身を変えるきっかけに物の少ない生活は一役買っているのかもしれない。

盆が来る前にやらねば(3日目)

実家の「捨」3日目です。

 

今朝、父から

「お盆休みが11日~20日」

と聞いて、一気にペースアップをした。

 

具体的には計画にあった

2日目…居間の作り付け収納の中、廊下
3日目…カウンターの上、1~2日目に行った引き出し・収納の上、パソコンスペース
4日目…洗面所の収納スペース、トイレの収納スペース、玄関
5日目…元自分の部屋(現物置)

の内、玄関以外を終わらせた。

 

というのも、玄関は実家に住んでいる人のみならず、実家を離れたきょうだいと、別居している(徒歩10分くらいのところに住んでいる)祖母の靴があるからどこまで手を出して大丈夫か全く分からない。

 

しかも両親・きょうだい・祖母の靴のサイズが全員一緒のため、誰の靴なのかの判別がつきにくい。

 

自宅を離れたきょうだいは今月帰省する予定だが、あまり日がないため玄関の物のことはできないと思う。

 

 

よって、今回は玄関は諦めた。

 

自分は自宅から2足だけ持ってきたが、置く場所は確保されたからいいかと思った。

 

さて、他の部分の「捨」です。

 

うちはとにかく紙が多い。

 

具体的には

・割引券

・チラシ

・新聞の切り抜き

・雑誌

・写真

が引き出しを開ける度にお目にかかることになる。

 

もちろん

・割引券(有効期限切れ)

・チラシ(割引サービスの有効期限切れ)

・新聞の切り抜き(恐らく大事な部分がちぎれている)

・雑誌(約20年前のもの)

・写真(未整理)

といった感じだ。

 

雑誌は捨てたら怒ってくることが予想できるため、割引券・チラシ・切り抜き・写真(何を写したか分からないもの)をがっつり捨てた。

 

あと、棚1段分全て紙袋だったところもあったので、半分ほどに減らした。

 

それから薬。

 

期限が1991年のものが出てきた。

 

1991年てまだきょうだいが生まれてもいない頃のものだ。

 

自分も1991年は記憶にない。

 

ちなみに肩こりの飲み薬みたいだった。

 

あと、2000年頃の胃薬(未開封)も出てきた。

 

親の溜め込み癖には疲弊する。

 

大体胃薬は家族の誰も使わないのに何故あるのか?

 

まだまだがっつり探せばありそうだが、今回はここまでにする。

 

3日行ってみて出たごみの総量(推定)

・燃えるごみ…45㍑ゴミ袋約11袋分

・ペットボトル…15本

・瓶…12個

・缶…11個

・燃えないごみ…10㍑のゴミ袋1袋分

・金属ごみ…20㍑のゴミ袋1袋分

・食品(調味料含む)…50~60㍑

 

これだけ出しても実家の人たちは気付かないのだろうなと思える。

 

あ、冷蔵庫は捨てたと宣言したから、気付いてはいた。

 

母は文句を言っていたが、腐ったものを食べるよりはずっとマシだ。

 

今はふりかけとスープの素食べきり作戦を実行中。

 

出産前には食べきっておきたい。

 

スープの素は自分が自宅からお土産に持ってきたが、あまり気に入らなかったようなので残った分を食べきる。

 

これも出産前には完了したい。

 

それから、自分の物になるが、自宅から持ってきたボディスプレーを使いきりたい。

 

これは8月中には完了できそう。

 

自宅から持ってきたウエスも8月中には使いきるつもりでいる。

 

そしてウエスを持参したものの、実家からウエスが山ほど出てきたから、次はウエスは持参しなくていいことが分かった。

 

自分の中では次はないが。

 

今回自宅から持参してよかったと思う掃除道具はメラミンスポンジだ。

 

キューブ状のものを5つ持ってきたものの、実家にはなかったのですぐに使いきった。

 

実家は100均まで微妙に距離があるため本当に持ってきてよかった。

 

 

さて、断捨離が終了したので次は掃除をしていきたい。

 

既に冷蔵庫内は断捨離中に拭き掃除をした。

 

自分が今使っている部屋の窓拭きも終了した。

 

家中のカーテンレールの上のホコリは払った。

 

床は毎日乾モップをかけている。

 

トイレも毎日便器を磨いている。

 

その結果

・棚の中や上の拭き掃除

・天井掃除(届く範囲で)

・棚・壁の側面拭き掃除

・床の水拭き

・玄関のたたき磨き(デッキブラシみたいなものでこすりたい)

・トイレの壁・天井・床掃除

・居間などの窓拭き

・カーテン洗濯

辺りを行いたい。

 

父のお盆休みが終わったらスタートしよう。

 

その頃にはお腹も大きくなって、ますます動きにくくなっていそうだ。

 

安産のためには動くことが大事と聞いたことがある。

 

外に出る気はないが、家の中でちょこまか家事をしておこうと思う。

コンポストは強い見方(2日目)

実家の「捨」2日目です。

 

本日はゴミの日の前日なので、6日目に予定していた冷蔵庫・乾物庫の中を行った。

 

冷蔵庫内は何でも詰め込まれていた。(特に最上段)

 

なんとなく異臭がする。(家庭の臭いと言うべきだろうか)

 

買ってから一度も中を清掃したことがないため、何かがこぼれたような跡もある。

 

とりあえず1段ずつ全出し→仕分け→棚拭き→収納していった。

 

ちなみに、ポケットの部分もかなり「捨」した。

 

物の量が多いが、後述する理由のため戻したものもある。

 

その後、乾物庫の中も「捨」して出た物の総量が凄かった。

 

今回は食品ということもあり、賞味期限で判断した。

 

 冷蔵庫内は2017年7月31日以前の物

乾物庫内は2016年12月31日以前の物

を全て処理した。

 

何故賞味期限が切れたものを残したのか?

 

・「賞味期限が切れていたから捨てた」で納得する親ではない

・冷蔵庫内は元々賞味期限が10日ほど過ぎたものでも平気で使っていた(調味料に関しては2年くらい切れても気にしない)

・乾物も年内の期限なら気にしない

・捨てたと言ったら「○○がない」「勿体ない」とケチを付けてくるものがあるため、そういったものは捨てたら怒ってくる(今回はポン酢が賞味期限切れだが、親が毎日使っているため捨てたら怒ってくること間違いなかった)

 

もちろんこの範囲外でもカビの生えたものなどは容赦なく捨てた。

 

自分の子どもが生まれたら母乳で育てるつもりだが、子どもの食品を入れるときにカビの温床に入れたくなかったのでスッキリした。

 

冷蔵庫・乾物庫の中は半日ほどで出しきった。

 

問題はその後の食品の処理。

 

実家はコンポストを使っている。

 

期限切れの食品も例外ではない。

 

袋やパウチなどから中身を取り出し、容器は軽く分別(パウチ系は燃えるごみに出せる自治体のため楽だった。その他、缶・瓶・ペットボトルに分別後洗浄)

 

中身はまとめてコンポストへ入れた。

 

自宅のコンポストが溢れそうになっていた。

 

ちなみに運ぶ際に15㍑の小さめのバケツ(それでも実家にある一番大きな容器)を使ったが、4往復した。

 

溜め込みすぎは良くないと再度実感した。(今年の4月に自宅の冷蔵庫を整理したとき、期限の切れたワサビなどの小袋がたくさん出てきた)

 

ちなみに実家から出てきた最古の食品(未開封)の賞味期限は1994年10月16日だった。

 

もはや21世紀でもない。

 

ちなみに実家は1994年以降にここへ引っ越して来たため、この食品はここへ来る前から所持していたことになる。

 

勿体ない通り越して呆れた。

 

そのことを近い親戚に話したら、母が忙しいと言って食品を粗末にしているようで、憐れみを感じていたようだ。

 

この日に出たごみの量は、

・燃えるごみ…スーパーの袋2つ分

・缶…7(あやふや)

・瓶…12

・ペットボトル…13

だった。

 

瓶が思ったよりも多かった。

 

 

「捨」をした夜、何も知らないきょうだいが冷蔵庫の中を見て

「なんかスッキリしている」

と言ってきた。

 

気付いてくれて嬉しく思った。

世の中捨てたもんじゃない

昨日、高校の頃の友人とファミレスへ行った。

 

妊娠9ヶ月、お腹は大きい。

 

自分の場合、前に突き出している。

 

友人の車からの乗り降りも一苦労だった。

 

元々細身だが、太っていたらもっと大変だっただろうなとは思える。

 

ファミレスは2組先に待っていた。

 

1組は高校生くらいの集団

もう1組はおばさん2人

自分と友人は名前を書いて、立って待っていた。

 

すると、おばさんの1人が「あんた座りなさい」と促してきた。

 

ここのファミレスは元から待つ人のための椅子が少ない。

 

日によって椅子の数が異なっているが、今日は2席しかなかった。

 

その内の1席を譲ってくれたことが嬉しかった。

 

妊娠8ヶ月まではそこまでお腹の重さが負担にはなっていなかったが、9ヶ月に入ると立って待っているのも辛いときもある。

 

先に待っていた人が譲ってくれるなんて思ってもみなかったからほっこりした。

 

ちなみにそのおばさん達は席を譲ってくれて2分ほどで店内に案内されていた。

 

おばさん達があまり負担になっていなければいいなと思った。

 

というのも、譲ってくれたおばさん達は杖をついていた。

 

恐らく立って待っているのも辛かっただろうなとは感じている。

 

おばさんは譲ってくれるとき「気付かなくてごめんなさい」と言ってきた。

 

むしろ自分の方こそ杖をついていることに気付かなくて悪いことをしたと感じている。

 

自分は今は妊娠中だが、普段なら体力が有り余っていてどこへでも歩いたり自転車だったりで勝手気ままに出掛けていた。

 

「妊婦様」になるつもりはないし、そんな都合良く使う気もない。

 

席を本当に必要としている人が使えばいいという考えは昔から変わらない。

 

今回はおばさん達の善意で席を譲ってもらえたのだろうが、本当に席を必要としていたのはおばさん達だったのではないだろうか?

 

何故あのときおばさん達のことを気遣わなかったのだろう。今、そのことが心残りになっている。

 

 

 

この事は地元であったことです。

 

地元は土地柄言葉が汚く、他人から優しくされたことも今までなかったのでとても意外な出来事でした。

 

こんな人の冷たい集まりのなかでも優しくしてくれる人がいることに感謝

晴れた日は洗濯日和

生まれが雨の多いところであり、現在住んでいるところが冬場半端なく寒くなるところのためか、晴れていると大物を洗濯したくなる。

 

結婚してから自宅で洗濯したもの

・バスタオル

・シーツ

・枕カバー

・掛け布団カバー

・毛布

・タオルケット

・カーテン

・スリッパ

・玄関マット

・お風呂マット

・ラグ2つ

・寝袋

 

つまり、自宅にあるほぼ全ての布製品を一度は洗濯した。

 

あと洗濯していないのはぬいぐるみくらいか…。

 

かなり古いもののため、洗うと綿が出てきそうで洗えていない。

 

四半世紀以上前に作られたぬいぐるみだけどどう洗えばいいかは分からない。

 

 

 

さて、カーテンを洗濯したと言うと周りから驚かれることが多い。

 

自分は当たり前のように洗濯していたからそんなに驚くべきことなのかとも思えるが、全く洗わない人もいるとのこと。

 

そこで、おこがましいが自分のカーテンの洗い方を書いておく。

 

プロでもなんでもない、ただの洗濯好きな人だからやり方が間違っている可能性も大いにある旨を了承していただきたい。

 

①カーテンを外す

 このとき、カーテン上部のプラスチック製や金属製の留め具は全て外す。

 外した留め具は一ヶ所に集めておく。

②軽く掃除機を掛けておく

 表面についているホコリやペットの毛を軽く取るように掛ける。

 布だからと強い力で吸ったら破れるかもしれないため、調節ができるなら「弱」で掛けた方がいいと思っている。

③レースカーテンや生地が弱くなっているものはネットに入れる

 水流で破れるかもしれないと心配になるためだ。

 そこまで弱くなっているなら買い替えた方が本当はいいとは思っている。

 だが現実はお金がないため、慎重に使っている。

④標準コースで洗濯する

 洗剤は、油っぽいときやタバコのヤニが気になるときは作業着用のものを使うとよく落ちる。

 かなりガンコな汚れの場合は40℃くらいのお湯にセスキ炭酸ソーダを溶かし、漬け込むと水が黒くなるくらい落ちる。(自分はいつもお湯が冷たくなるまで放置している)

 漬け込んだ後は軽く水洗いして洗濯機で洗う。

 どの部屋のカーテンかにもよるが、柔軟剤はあまり使わない方がいいと思っている。

 自分があまり柔軟剤の臭いが好きではないのもあるが、干すとかなり臭いがする。

⑤洗濯している間にカーテンレール・留め具を掃除する

 カーテンレールは水拭き、留め具は水洗いで十分だが、ホコリや油でベタベタしている場合、セスキ炭酸ソーダを混ぜたお湯で拭いたり洗うとよく落ちる。

 セスキ炭酸ソーダを使った場合は必ず水で仕上げ拭きをする。(留め具も水で洗浄する)

 留め具を乾拭きしておく。

⑥洗濯が終了したら、形を整えて元の場所に干す

 カーテンくらいの大物になると物干し竿の大部分が取られるため、元々掛けてあった場所へ掛けている。

 ⑤で洗った留め具もここでつける。

 後ほど取り込んだりする手間も省ける。

 

以上のやり方をしている。

 

カーテンを洗濯するとその日の夜に外が明るく感じると思うが、今までホコリやタバコのヤニが付いていたからだ。

 

自分も初めて自分の部屋のカーテンを洗ったら、明るくて驚いた経験がある。

 

自分の部屋で飲食やタバコは一切していなくても、汚れは蓄積されているものだとも感じた。

 

洗濯したカーテンはすぐ窓に戻ってくるため、前日に窓やサッシ・網戸を掃除しておくことをおすすめする。

 

また、カーテンに汚れが付着する原因は部屋の空気の汚れとのことのため、やはり前日に部屋の掃除もした方がいいと考えている。

 

カーテンを干している間は湿気を逃がすためにも窓は開けておいた方がいい。

 

そしてカーテンの洗濯の頻度は、家庭にもよるが最低半年に一度くらいはした方がスッキリする。

 

とは言いつつも、うちは今年は1回だけに終わりそうだが。

 

夏場は水を使っても辛くないし、すぐ乾くため一度洗濯することをおすすめする。

 

なお、カーテンを洗濯すると排水が真っ黒になるため、他の物とは分けて洗う方がいい。

アキラ100%

実家の父は同僚にそう呼ばれているようだ。

 

本人嫌がることなく「フフフ」と言っているからタチが悪い。

 

ちなみに父は裸芸が得意なわけでもない。

 

父はアキラ100%がアンガールズ並に痩せ、白髪混じりになった感じだから言われているのだろう。

 

今年のR-1優勝時に父に似ていると感じた。

 

 

自分は父親っ子だ。

 

母とは仲が悪いが、父とは何でも言い合える。

 

父は自分が幼い頃から放任主義的な態度だった。

 

だからと言って突っぱねることなく、こちらから行けば受け止めてくれていた。

 

手先が器用だが、動作が遅いとよく言われている。

 

効率が悪いのだろう。

 

運動神経は良い方だ。

 

その影響は自分も受け継いでいる。

 

他にも父のことで1日分くらいの日記はすぐ書けるが、父に許可をとっておらず、自分自身が個人情報をあまり出さずに書いている中父の個人情報を出すのも違うと考え、このくらいにしておく。

 

 

さて、妊娠したら出べそになったのだが、へその出方が出すぎだと父と話していた。

 

自分は出べそになると聞いていたからこんなもんかと思っていたが、どうやら違うらしい。

 

どんな感じかと言うと、スイッチのようにひょっこりと出ている。

 

腹の上からでも分かるくらいの出方だ。

 

父は面白いらしく、帰省してから毎日自分のへそを見せて笑わせている。

 

1日1回は笑っていることになるから健康になると父には話している。

 

恐らく出産までは笑わせられる自信がある。

 

笑わなくなったらお腹に顔でも書いて、出べそを鼻に見立てようかとも考えている。