徒然なるままに、

ゆるく・気ままに日常を書けたらいいな

アキラ100%

実家の父は同僚にそう呼ばれているようだ。

 

本人嫌がることなく「フフフ」と言っているからタチが悪い。

 

ちなみに父は裸芸が得意なわけでもない。

 

父はアキラ100%がアンガールズ並に痩せ、白髪混じりになった感じだから言われているのだろう。

 

今年のR-1優勝時に父に似ていると感じた。

 

 

自分は父親っ子だ。

 

母とは仲が悪いが、父とは何でも言い合える。

 

父は自分が幼い頃から放任主義的な態度だった。

 

だからと言って突っぱねることなく、こちらから行けば受け止めてくれていた。

 

手先が器用だが、動作が遅いとよく言われている。

 

効率が悪いのだろう。

 

運動神経は良い方だ。

 

その影響は自分も受け継いでいる。

 

他にも父のことで1日分くらいの日記はすぐ書けるが、父に許可をとっておらず、自分自身が個人情報をあまり出さずに書いている中父の個人情報を出すのも違うと考え、このくらいにしておく。

 

 

さて、妊娠したら出べそになったのだが、へその出方が出すぎだと父と話していた。

 

自分は出べそになると聞いていたからこんなもんかと思っていたが、どうやら違うらしい。

 

どんな感じかと言うと、スイッチのようにひょっこりと出ている。

 

腹の上からでも分かるくらいの出方だ。

 

父は面白いらしく、帰省してから毎日自分のへそを見せて笑わせている。

 

1日1回は笑っていることになるから健康になると父には話している。

 

恐らく出産までは笑わせられる自信がある。

 

笑わなくなったらお腹に顔でも書いて、出べそを鼻に見立てようかとも考えている。

 

意図せず休養

現在妊娠中です。

 

予定日まで2ヶ月切った。

 

子どもができたことは嬉しいが、体の変化についていけない。

 

・悪阻で一時期寝たきりだった

・元々長時間睡眠だったが、更に長く寝るようになった

・少し動いただけでも疲れる

・安定期に入ると嘘のように吐き気がなくなった

・…と思ったら週1くらいで戻すこともあった

・妊娠5ヶ月くらいのときはへそが内側から押されている感覚がした

・この頃胎動らしきものを感じた(はっきりと胎動と分かったのはもう少し先)

・どんどん体重が増えていった

・暑がりになった

・腹囲が75センチ越えた辺りから出べそになった

・腹囲が80センチ越えた辺りから浮腫みに悩むようになった

 

ざっとこのくらいの体の変化があった。

 

胎動は慣れるものだとは言われていたが、未だに慣れない。

 

よくお腹の形が変わるくらいの大きな動きかたをしているからだろうか?

 

ちなみに体重は、高校入学当時が人生で最も重かった。

 

現在でもそのときの記録は抜いていない。

 

今は体重は妊娠前のBMIによって増えてもいい幅が決まる。

 

自分は自覚はなかったが細身だったようで12㎏まで増えても良いとのことだった。

 

とは言いつつも、妊娠前から現在までで既に7㎏増えている。

 

妊娠発覚が1月中旬だったため、6ヶ月半で7㎏増は体がついていかない。

 

いくらか子どもが3㎏くらい(今はまだ2㎏いかないくらい)と言っても体内に脂肪や水分を溜め込みすぎての不調が続く。

 

こんなとき頼りになるのは夫だが、里帰り出産のために実家へ帰省しているため会えない。

 

自分は里帰り出産したくなかったが、初めての子どもなのもあり、夫が話を進めていた。

 

自分も仕方なく帰ってきた感覚になっている。

 

不満を挙げるなら

・まともな産院まで遠い(しかも市街地のため混む)

・自宅と気候が違いすぎる(最高気温の差が10℃くらいある)

・蒸し暑い(自宅は比較的カラッとしている)

・平日は基本一人でいるため、何かあっても自力でやらなければいけないのは実家でも自宅でも変わらない

・周りの目が怖くて外出できない(=引きこもり状態)

・家事の量が増えた

 

 

自宅では、産院まで車で10分弱だった。

 

実家だと軽く30分はかかる。

 

朝の通勤ラッシュと重なると1時間は見積もっておいた方がいい。

 

近所にも個人経営の産婦人科があるが、行きたくない。

 

そこへ行くくらいなら自宅出産するとまで考えている。

 

そのくらい地元は嫌いだ。

 

 

今回のみならず、帰省時は金と時間がかかりすぎる。

 

今回は妊娠中なこともあり、最も移動時間の短い乗り物に乗って帰省した。

 

それでも半日かかった。

 

自宅を13時に出発し、実家に到着したのは20時を過ぎていた。

 

ちなみに飛行機を乗り継いで帰省した。

 

25歳のときにとにかく遠くへ行きたいとの思いから実家を出たが、そのときは里帰り出産するつもりは一切なかった。

 

そもそも里帰りするつもりもなかった。

 

夫が同郷だから里帰りの計画を進めていて仕方なく帰ってきたが、同郷でなければ帰ってきていなかった。

 

ちなみに夫とは日本最○の町で出会った。

 

実家同士は車で20分くらいの場所になる。

 

もはや奇跡としか言いようがない。

 

恐らく日本最○の町では同郷の人は夫しかいなかっただろう。

 

現在は引っ越したため、自宅は日本最○の町ではない。

 

ここまで遠いと気候が大きく異なる。

 

妊娠中は特に暑がりになるにも関わらず、暑いところへ来たから溶けそうだ。

 

 

蒸し暑さも相まって気候が不快だ。

 

打ち水なんてしようもんなら暑さと湿気でやられる。

 

更に、帰省して数日はまだ梅雨明けしていなかった。

 

梅雨明けしても湿度が高いが…

 

あまりにも不快なため、一生ここに住むくらいなら25歳のときに実家を出て本当によかったと改めて思う。

 

 

実家は両親がフルタイムで働いている。

 

自宅では、夫は不規則勤務をしている。

 

夫は自分が出勤時に何かあったらと心配して里帰り出産を進めていたが、実家でも平日の日中に何かあれば状況は変わらない。

 

むしろ実家の場合はなにかと連絡する所が増えるため、煩わしさしか感じない。

 

自宅なら最悪ヤバいときは自分で運転して病院へ行くこともできただろうが、実家だとそうはいかない。

 

陣痛タクシーなるものもあるが、営業所が1ヵ所のみで、実家から距離も離れているためなかなか病院まで行けないだろうなと予測がつく。

 

 

自分が中2のとき、暴行を受けた。

 

今でも傷跡が残っている。

 

傷跡を隠すため、実家にいた頃は真夏でもずっと長袖を着ていた。

 

それが今は長袖を着られる様子ではない。

 

傷跡は目立つし、周りの人が不快に思うことが十分想定できる。

 

以前仕事で会った美容皮膚科の人に聞いてみたら、

・保険適用外になる(機能的に問題がないため)

・全て目立たなくするとしたら100万以上かかる

とのことで、治療は諦めた。

 

せめて色だけでもとも思い、ドーランを塗っていたこともあったが、汗で流れ落ち、衣類に付着し、お客さんから刺青隠しのために塗っていると思われたことから辞めた。

 

それに、ボコボコしているからドーランだけではカバーできない。

 

夏場の外出は諦めて、長袖を着られる時期になったら外出しようと思っている。

 

問題は産婦人科の受診。

 

2週間に1回だから次の受診時は長袖を着ていけるくらい涼しくなってはいないだろう。

 

どうするか?今から悩んでいる。

 

 

実家は現在、自分を含めて4人+猫3匹で暮らしている。

 

猫は可愛いが、毛がかなり抜ける。

 

すると、毎日床掃除をする必要がある。

 

この床掃除は自分が来てからは自分の役割になった。

 

また、料理・洗濯も自分の役割になっている。

 

幸い家族全員アイロンがけをする必要のある服を着ないため、アイロンがけこそないが、辛い日もある。

 

これが自宅で夫と2人なら3分の1以下の負担になっていた。

 

人数が少ない分、洗濯物も料理の量も少なくて済むからだ。

 

あと、実家は自分達のやり方でやらないと怒ってくる(特に母親)

 

冷蔵庫に入れて腐らすだけの食材を使ったり、賞味期限が切れていたからと捨てたら怒ってくる。

 

洗濯物も自分で決めたルールで干されていないと怒る。

 

掃除も猫の毛が転がっていたら怒る。(朝掃除しても夕方になれば毛が舞っている)

 

実家帰省してまだ1週間程度だけどもう帰りたい。

写真は恐らく4桁(1日目)

実家の「捨」1日目です。

 

予定どおり、客間の引き出しの中、居間の作り付け収納の中を行った。

 

客間の引き出しの中はそれなりにできたが、居間の作り付け収納は4分の1のみしかできていない。

 

それでも45㍑と思われるゴミ袋3つ分出た。

 

また、臨時収入(10円)も出てきた。

このお金は父に渡した。

 

 今日整理した場所は書類や過去に使っていたもの、文具、写真と言った細々したものが多かった。

 

幸い、似たようなものが似たようなところに入っていたから整理はサクサクと行った。

 

 

で、タイトルに戻る。

 

ある棚には写真が詰め込まれていた。

 

その数約1000枚。

 

両親が結婚した1980年代後半から2005年くらいまでの写真でした。

 

そして何故かあるきょうだいの写真が多い。

 

自分の写真は2歳くらいまでの物が数枚のみだった。

 

写真嫌いだったからだろうな…

 

今でも写真は嫌いなため、まともに撮影したのは卒業アルバム・履歴書・結婚式くらいだ。

 

今年は子どもが生まれるから、生まれた後はいっぱい撮影することになると思う。

 

デジカメはないからスマホで撮ることになりそう。

 

そんなマメには撮らないだろうなと今から思っている。

 

で、話を戻そう。

 

子どもの頃写真嫌いで逃げ回っていたからか、ブレた背景の写真がかなりの枚数出てきた。

 

他のきょうだいはきちんと収まっていたから、どこへ行ったときの写真かはなんとなく分かる。

 

親は3きょうだいを並べて撮影していたこともあるようだが、きょうだい並んでなら自分の写真は残っていた。

 

 こうして見ると恥ずかしい。

 

ちなみに自分のデジカメ・スマホには自分は写っていない。

 

自分の顔をSNSに上げたこともない。

 

ケータイを持ち始めたのは15歳の頃、そのくらいから家族とどこかへ行くこともなくなったので家族写真も自分不在のものばかりだ。

 

とりあえず引き出しの中の写真は、ブレた背景の写真を取り除き、残りは戻しておいた。

 

親もあと数年で定年退職するから、そのときに自分でまとめたりすればいいさ。(親はまとめることは好き)

 

他にも期限の切れた案内や昔の請求書(一番古いもので1989年。今住んでいる家に来る前のものだった)、正体不明のなにかが出てきた。

 

あと、小指の第一関節くらいの長さのクレヨンも大量に出てきた。

 

確かにきょうだい揃って何かを書くことは好きだったが、子どもの頃の小さい手でも小指の第一関節くらいの長さのクレヨンは使わない。

 

自分の子どものためにと残してあったのかもしれないが、手放した。

 

ちなみに、短いクレヨンが大量にある一方でほぼ新品のクレヨンも1セットでてきた。

 

親が仕事柄使う可能性があるため、残しておく。

 

もし使わないようなら自分が引き取ろうと考えている。

 

翌日は続きから始めよう。

手放そう。話はそれからだ

先日より、約2年振りに実家で生活することになった。

 

とは言っても半年弱の生活だ。

 

今回はあまり出歩けないため、時間が長く感じる。

 

そんな中、実家の不要品の多さに疲弊している。

 

自宅は自分の物を手放しスッキリしているが、所有物の多い実家へ来たためだろうか。
・カウンターに並んだ紙
・時々雪崩を起こしていた紙袋
・終わった行事のチラシ
・本体を捨てた家電の説明書
・読んでいない雑誌の切り抜き
・ペットボトルのキャップ
・空き缶のプルタブ
・スーパーの袋
・賞味期限の切れた食品
・数十年着ていない服
・軽く10年は使っていないゲーム(64、スーファミ、初代プレステ)
・同じ用途で使いかけの洗剤類

 

こう書いてみると紙類が多いことに気付く。

 

自分が実家で暮らしていた頃、自分の部屋から45リットルのゴミ袋2つ分の紙袋が出てきた。

 

自分が溜めたのではなく、親が勝手に自分のクローゼットを物置にしていた。

 

他にも様々な親の詰め込んだ物が自分の部屋から出てきたが、自分が実家を出るときに大方手放した。

 

今回は実家に籠りがちなんで、少しでも快適にしたい。

 

 

手放そう。話はそれからだ。

 

 

でも何をどう手放したらいい?

 

そこで、断捨離の提唱者であるやましたひでこさんのページを閲覧した。

 

 

断捨離とは一言で言うと「モノの片づけを通して自分を知り、心の混沌を整理して人生を快適にする行動技術」ということになります。別の言い方をすると、家のガラクタを片づけることで、心のガラクタをも整理して、人生をご機嫌へと入れ替える方法。要するに、片づけを通して「見える世界」から「見えない世界」に働きかけていく。そのためにとる行動とは、

「断」=入ってくる要らないモノを断つ
「捨」=家にはびこるガラクタを捨てる

です。そして「断」と「捨」を繰り返した結果訪れる状態を、

「離」=モノへの執着から離れ、ゆとりある“自在”の空間にいる私

と定義づけます。
(https://yamashitahideko.com/profile/より)

 


つまり、
「断捨離」とひとまとめに考えるのではなく
「断+捨=離」と言うことなのか…

 

自分が食べ物以外買い物をほとんどしないし、ネットで物を買うこともないから「断」の部分は大丈夫だろう。


フリーペーパーや郵便物・レシート等の「ガラクタ」も即処理しているから無料のものも溜まらない。

 

実家では「捨」に重点を置く必要がある。

 

よし、ガラクタを捨てよう。

 

捨てるために計画を立てよう。

 

目標は7日で「捨」を完結させることにする。

 

 

行程
1日目…客間の引き出しの中、居間の作り付け収納の中

2日目…居間の作り付け収納の中、廊下
3日目…カウンターの上、1~2日目に行った引き出し・収納の上、パソコンスペース
4日目…洗面所の収納スペース、トイレの収納スペース、玄関
5日目…元自分の部屋(現物置)
※6日目…冷蔵庫・乾物庫の中

7日目…予備日

 

 

日によってばらつきがあるが、物の多さからするとこんな感じがちょうどいいと思う。

 

本当は家中の押し入れやクローゼット・調理器具も「捨」したいが、あくまで実家のため、個人のものは手をつけない。(むしろ上記の場所にあるものは所有者不明か所有者なしのものばかり)

 

食品を6日目にしているが、生ゴミなどが出る関係上ゴミの日の前日に行う。

 

作業日は自分以外の人がいない日(平日)9時~16時30分とする。(内まとめて1時間は休憩する。適宜水分補給を行う)

※16時30分にゴミをまとめるところまで完了させる

 

作業前後は画像を撮る(モチベーションを上げるため。個人情報の関係から画像upはしない予定)

 

判断に迷うものは家族に聞く(家にいないことも多いため、作業期間中でなくても良い)

 

ゴミ袋は分別のため、3つ(燃えるゴミ・プラスチックゴミ・燃えないゴミ)用意し、足りなければすぐに追加できるよう準備する。

 

(余力があれば)その日「捨」した場所を掃除する。

 

作業後は整頓する。

 


こんな感じで行いたい。

 

本当は実家ではゆっくりしたいと思っていたが、はっきり言ってそうはいかない。

 

ホコリも溜まっているため、断捨離の翌週は掃除を考えている。

 

ペットもいるからブラッシングしておきたい。

 

ホコリっぽいカーテンも洗いたい。

 

ジャングルみたいな庭の草むしりもしたい。

 

8月中に全てを終わらしたいが、かなりの作業量が予想される。

 


追記
やましたひでこさんのページを閲覧した際、プロフィールが書かれていた。

 

それによると現在、自分に関係のある地に住んでらっしゃった。

 

とすると、今まで気付いていないだけですれ違っていたかも知れない。

物に価値を見出さない生活

元々物にはこだわりは少なかった。

 

・服は肌の露出が少なく、寒色系なら良い。

・本は図書館や立ち読みで事足りる。

・書類は用が済んだら不定期に捨てていた。(一部を除く)

・アクセサリー類は1用途1つのみ。

・裁縫道具・工具・キッチン用品・消耗品も1種類1つのみ。

・文具は使えればどんなものでもいい。

・思い出の品は一部処分済み。

 

ざっとこんまりさんの片付けの順番に習って書いてみたが、こんな感じだからほとんど物は所有していない…と思っていた。

 

 

服に関して、自分で買うものはどれも同じようなものばかりだから親やきょうだいがお下がりをタンスによく突っ込んでいた。

 

また、セールで安くなっている時のみ自分でも冒険した色のTシャツを買うこともあった。

 

大抵そういったものは使われず、タンスの奥底に眠ったままになっていた。

 

たまたまセールで買ったカラシ色のTシャツは気に入り、生地が薄くなって下着が透けるまで着倒した。

 

配偶者と出会った頃はよく着ていたから、自分は黄色いTシャツを着ているイメージがあると聞いた。

 

このTシャツは最後、ウエスとして使い捨てた。

  

25歳のとき、実家を出るために荷造りしていたら

「何でこんなに服が多いのか」

「着ない服を運ぶ運賃がもったいない」

「第一着たい服がほとんどない」

と気付いた。

 

実家は貧乏なため、1つの物を長く使う生活が染み付いていた。

 

だが、当時の自分のタンスは使っていない物ばかりだった。

 

半袖・半ズボンはサイズからして恐らく小学生の頃にもらったものが出て来た。

 

自分は中学・高校はジャージで過ごし、大学以降半袖・半ズボンは身体上の都合で一切着なくなっていた。

 

捨てると親がタンスに突っ込みそうだったため、その日にまとめて近所の古着屋へ売った。

 

ここの古着屋は使えないものも資源として活用しているそうで、重さに応じて買い取りしていた。

 

こうして服は気に入ったもののみになった。

 

その後、職場でも職員のお下がりを押し付けられていたが、ネットの古着買い取りを利用して9割は手放している。

 

一応礼儀としてもらって2~3回は着てみるが、サイズが合わなさすぎて着られないものが多かった。(デブな職員だった)

 

その内、自分の中での服のこだわりも見えてきた。

 

・肌の露出が少ないもの(短くても七分丈・七分袖)

・寒色系(緑・ライトブルーは×)

 ※ただし、黒・白・灰色は○

・サイズはM~L(店舗による)

・プリントや刺繍が大きく入っている物は×

 ボーダーは好き

・上は体の線が出るもの、又はチュニック

・下は形より機能性重視

 

自分の中でこだわっていたことに気付いたのは26歳のときだった。

 

トップスの形に関してはまだ自分でも分かりきってはいないと感じている。

 

今年はチュニックばかり着ている。

 

 

本も25歳のときに仕事で必要なもの以外は手放した。

 

大学の教科書数冊くらいしか残っていなかったのでほとんどは捨てた。(書き込みも多かったから売れない)

 

仕事に就いてから、必要な本は買ったが退職時に同僚へ渡した。(同僚がほしいと言ったため)

 

片付けや掃除の本は25歳のときに図書館で見つけ、借りた。

 

こんまりさんの『人生がときめく片付けの魔法』を読んでからは手当たり次第片付けの本を読んだ。

 

現在、自分の本は3冊(内1冊は廃盤になっていて、仕事で使う可能性が高い本)のみだ。

 

配偶者と共有している本も6冊あるが、捨てないでいる。

 

 

書類は元々ファイルに整理することが好きだった。

 

家計簿に書くためにレシートをもらっているが、今月分以外処分している。

 

医療費関係は来年の確定申告で必要だから残している。

 

自分の物に関しては、取り扱い説明書や保証書(有効期限内の物は除く)関係は残っていない。

 

持っている書類は資格や免許の証明書と年金手帳、有効期限内のクーポン券、生命保険の証紙、スケジュール帳くらいだ。

 

 

アクセサリー類は元々興味がなく、仕事柄つけられなかったこともあり数を持っていない。

 

結婚指輪は常に身に付けているが、今後も増える予定はないため、現状維持すると思う。

 

 

裁縫道具・工具・キッチン用品・消耗品は壊れたりなくなってから買いに行くため、物が増えない。

 

ただ、今年の3月~5月の間にティッシュ5箱組を計4組もらったため、現在箱ティッシュバブルになっている。

 

 

文具にも特にこだわりがなかった。

 

だからこそ、たくさん入ってきた。

 

保険会社のボールペンはよく渡される。

 

他にも様々な文具をもらったことがある。

 

意外だったのは献血ポストイットをもらったときだ。

 

販促品の文具は溜め込みがちだから積極的に使っている。

 

ちなみにポケットティッシュもよくもらうが、もらう量と使う量が釣り合っているため溜まらない。

 

 

思い出の品は一部処分が済んでいる。

 

具体的には小中の卒業アルバムは捨てた。

 

思い出したくなかったし、成人式も行かなかったから二度と見ないと思った。

 

当時は後ろめたい気持ちになっていたが、ゆるりまいさんの『わたしのウチには、なんにもない』を見て改めて捨てて良かったと思えた。

 

高校・大学の卒業アルバムはまだ持っている。

 

というより実家に置いてある。

 

どうせ実家に置いてあるなら捨ててもいいと思っているが、配偶者に話すと悲しそうな目で見られる。

 

後は寄せ書きと結婚式の写真もあるが、まだ手をつけていない。

 

年賀状は10年くらいメールやLINEで済ませているため、紙のものは残っていない。

 

こんな感じだから現在自宅にある自分の物はストック以外かなり使っているものになっている。

 

実は今年、7月末~年末くらいまで実家で暮らす予定のため、実家の片付けと掃除をしようと模索中。

 

実家は築20年以上のため、いろんな物が出てきそうだ。

 

軽く棚の中を見るとヤバそうなものも見えた(気がする)

 

年単位で切れたものもありそうだから徹底的に片付けていきたいと考えている。

【紹介】24歳・26歳

自己紹介のような日記です。

 

25歳は7月24日に書いたため、省略します。

 

 

24歳

 

実家へ帰ると全ての家事が自分の役割になった。

 

ひとり暮らしをしていたため一通りはできたが、親と家事のやり方でよく衝突した。

 

家族との関係は良くなかった。

 

都合のいい家政婦くらいの扱いだった。

 

同時期にある資格の勉強をしたくなった。

 

その資格は地元では勉強できず、県外へ通う必要があった。

 

家事はしていたものの、バイトのため時間に余裕はある。

 

自分は家事とバイトをしながら勉強する道を選んだ。

 

同時に、バイト先で知り合った人から別の仕事(アルバイト)の誘いも受けた。

 

時間的に厳しかったが、頼りにされることが嬉しく了承した。

 

家事・バイト2つ・勉強と休む暇なく動いた。

 

そんな生活が続いたある日、バイト中に体調が悪くなった。

 

店長は自分の様子がおかしいと感じ、早く上がるようシフトを調整してくれた。

 

元々上がる予定の2時間ほど前にタイムカードを押して、退勤した。

 

その後、店の駐車場で倒れた。

  

そのまま病院へ行き、入院となった。

 

原因は不明。

 

いろいろと検査を受けたが異常なし。

 

過労と結論付けられた。

 

翌日退院。親には頭ごなしに怒られた。

 

親との関係は更に悪化した。

 

仕事のことで散々嫌味を言われていた。

 

学生の頃お世話になったカルチャースクールにもたまに顔を出すようになった。

 

相変わらず忙しかったが、家のこと以外不満はなかった。

 

この時期、仕事で料理を作っていたが、評判が悪かった。

 

実家で出されていた料理を作ればいいと言われたが、そもそもうちの実家は誰も食事を作らないことに気付いた。

 

また、後に分かったが、自分はどうやら味覚が鈍感なようだ。

 

食事は空腹を満たせばそれで良いとしか思っていなかった。

 

主菜・副菜がよく分からないし、未だに分かっていない。

 

空腹は感じるから食欲はある。

 

「何が」食べたいという考えがない。

 

結果、好きな食べ物も嫌いな食べ物も特にない。

 

強いて言えば米と漬け物はよく食べるが、特別好きな訳でもない。

 

そして、バイト先の先輩に恋をした。

 

この先輩は占いが好きで、自分と干支・星座・誕生月・血液型が一緒だった。

 

先輩自身の運勢をよく自分に話していただけだったが、同時に自分の運勢を知ることになった。

 

 

26歳

 

26歳になる10日前に婚約を受けた前後より、職員から執拗な口撃を受けていた。

 

元々この職員は過去にいろんな職場で新人を中心に口撃をしてきた人とのこと。

 

このときは自分が対象になった。

 

自分は結婚のために年度末にはこの地域から出ていくから気にしないようにした。

 

それで職員は付け上がり、自分の人間性を否定するようなことを言った。

  

この職員とは仕事以外で一切話さなくなった。

 

この年、職場は出入りが激しかった。

 

・上記の職員は数ヵ月後に解雇。(職員の補充なし)

・ベテランのパートが突如働けなくなり退職。(職員の補充なし)

・他のパートがケガをし、ドクターストップ。(職員の補充なし)

・別部門の人が家庭の都合で退職。(職員の補充なし)

・新しい職員は1人入った。

 ・年度末に自分も退職(職員の補充なし)

 

実は新しい職員は自分の大学の友人だ。

 

自分が働いていることを知るとここへ履歴書を送付してきた。

 

この人が自分の大学の友人なことを知ると、職員の口撃は更に激しさを増したがどうでもよかった。

 

それからは職場では自分の生活のことを話さなくなった。

 

同時に、この頃は汚れた自宅をどうにかしたいと考えていた。

 

生ゴミは処理していたが、全体的に雑然としていた。

 

口撃してきた職員に耐えていた頃、自宅に入ると乱雑さに窒息しそうになっていた。

 

ただでさえ職場で窒息しそうなのに、自宅ではくつろぎたいと遺品整理くらいの勢いで物を捨てた。

 

捨てた後はスッキリした。

 

また、年末にお米を10㎏もらえたりと運が少しついた気がした。

 

クリスマスと年末年始には婚約者と一緒に過ごせた。

 

今まで何人かと付き合ってきたがクリスマスを恋人と過ごしたことは初めてだった。

 

年明けは休暇を取って地元へ行く予定だったが妊娠が発覚した。

 

休暇初日に婚約者の家へ向かった。

  

その後、体調悪化で地元どころか職場への移動も困難なため退職した。

 

退職の際、移動できないくらい体調が悪いと上司に伝えたにも関わらず、無理にでも来いと言われた。

 

今だから言う。バカじゃないかと。

 

妊娠が発覚した際、上司には最悪職場に戻って来れない可能性を伝えてあった。

 

また、退職届を職場に戻ってこれない場合で作ったものを提出するよう上司に言われ、提出済みだった。

 

手続き上、自分は職場に戻ってこれない場合での退職を受理される用意をしてあった。

 

それも上司の指示で。

 

上司と話しても埒が明かないと考え、以降の事務手続きは事務員と直接連絡しあった。

 

その職場では、事務員が行っているから事務員と直接やり取りすることには何も言われなかった。

 

こうして有給明けと同時に退職し、翌日入籍した。

 

 

数日後、配偶者が自宅に残した自分の荷物を取りに行ってくれた。

 

物が少なかったから自宅到着後3時間ほどで荷造りが終わったとのことだった。

 

配偶者は何を処理したら良いか分からなかったから家電以外は全て持ってきたが、単身パック1つ分に収まっていた。

【紹介】22~23歳

自己紹介のような日記です。

 

ここから先は密度が濃いため、2年ごとに書いていきます。

 

 

22歳

 

ようやく地元を離れられた。

 

初めてのひとり暮らし、誰にも邪魔はされない。

…と思っていた。

 

しかし希望は打ち砕かれた。

 

補欠の登録をすれば100%働けるとは嘘だった。

 

悲しくなり、バイト先に報告をした。

 

店長がいた。

 

一通りの流れを店長に話したところで一言「ここで働くか?」

 

こうして自分はまたバイトを始めた。

 

月の給料は学生の頃の2倍ほどになった。

 

家族は文句を言っていたが、顔を会わすことがなかったため気にしなかった。

 

それよりも、ずっとバイトのままかという不安が大きかった。

 

バイトを再開して半年後、1本の電話がかかってきた。

 

県外のある場所から免許を使って1年半の期限付きで働かないかという連絡だった。

 

すぐにバイト先に報告したら、暖かく見送ってくれた。

 

今度こそ地元を出られる喜びが大きかった。

 

すぐに荷物をまとめ、実家を出た。

 

この年初めて、冬なのに雪を見なかった。

 

冬でも地元よりとても暖かく、過ごしやすかった。

 

 

23歳

 

仕事をし始めて半年が過ぎた。

 

体の不調が続いた。

 

それに伴いミスが目立つようになった。

 

作業も遅くなった。

 

なにかがおかしかった。

 

自分で考えてみた。

 

結果、詳細は省略するが自分は人を信用できなくなっていたようだ。

  

そして、1年半の期限が終了したと同時に退職した。

 

本当は期間の延長もできたようだが心が耐えられなかった。

 

退職後、自分はアルバイト先の店長に現在の状況を話した。

 

店長はまたバイトに誘ってくれた。

 

この店長に二度も救ってもらえたことに感謝し、また実家へ戻った。

 

このとき、実家へ帰るべきではなかったと今は後悔している。